赤鯱新報

松浦紀典ホぺイロミニインタビュー 「この14年間の経験は財産です。名古屋には感謝しかありません」<1>

一人の裏方スタッフが契約を満了したことが、全国的なニュースになる。通常では考えられないことだが、名古屋の、いや、松浦紀典という人物のこととなればそれは当然とも言える。国内では稀有なスキルを持つホぺイロのプロフェッショナルは、いるだけでクラブの価値を上げてくれる稀有な存在だ。選手とクラブがストレスフリーに日々の練習や試合をこなせていたのも、松浦ホぺイロのパーフェクトな仕事あってのもの。彼がいないということでも、来季からの名古屋は刷新のイメージが色濃くなってくる。

名古屋に関わる全ての人にとって実に残念な知らせだが、松浦ホぺイロもまたプロフェッショナルの世界に生きる人間である。「所属したクラブに対しては、感謝しかありません」と笑顔で語る縁の下の力持ちは、それでも残念そうな表情を時折浮かべた。14年間という決して短くない歳月をともにした愛するクラブとの思い出や別れる寂しさは簡単には語り尽くせない。

12月。松浦ホぺイロは普段と変わらぬオフシーズンの作業をしていた。その合間を縫って少しだけ話を聞いた。その言葉は嘘偽りのない名古屋への愛にあふれていた。

Q:振り返れば14年間のグランパス生活、長かったですね。ここに来ることになった経緯は?
「長かったですね。そもそもはヴェルディとの契約が切れて、名古屋に来ることになりました。ほんとは他のチームに決まりかかっていたところでもあったんですけど、名古屋さんから声をかけていただいて。こっちに決めました。ちょうどベルデニックさんの時でしたね」

Q:仕事を始めるにあたっては、仕事場を作ることからのスタートでしたか?
「いや、立派なグラウンドもありますし、施設としてもすごいなと思いましたね。そこでまずは今まで名古屋がやってきたやり方というものを吸収して、そこに自分の良さをプラスできたらなという考え方でやってきました」

Q:ホぺイロルームについては?
「もちろんもともとありましたし、特にこれを足そうというものもなかったです。だからあとは(腕をポンポンと)技術ですよね(笑)。何不自由なく、最初から仕事をできましたよ。その点はもともと整備されていたクラブだったんです」

Q:では実作業として、自分の色を出すためにまず取り掛かったことといえば?
「自分の色を出すということは考えてなくて、名古屋に限らずそのチームのやり方をまずは覚えようと思いました。あとはそれまで敵として戦っていた選手たちが仲間になるわけですから、まずはどんな選手たちなんだろうか、という部分であったり、試合のピッチでしか見ていなかったのでね。年に2回か3回くらいしか見る機会もなかったので、コミュニケーションを取っていくことから始めました」

Q:コミュニケーションが取れるようになってからは、知る人ぞ知るスパイクの改修などを始めるわけですね。
「コミュニケーションを兼ねながら、という感じですね。『こうしてみたらどう?』と聞いて、『いやあ、やったことないですね』みたいなところから始まって、『でもきっと良くなりますよ』『じゃあ、やってみようかな』と。そういう感じです」

Q:選手は「そんなことできるの!?」という反応なのですか?
「そういう方法があるんだ、とかこういう良いものがあるんだ、とかそういう感じですね。例えばスパイクの中敷き一つとってみても、少し手を加えてみたり、違うものにしてみたり。変えるだけでプレーもガラッと変わるんです。スパイクの中で足が滑るからスプレー糊を使っていた選手が、滑らないタイプの中敷きに代えただけで変わる。それも改善の一つですし、やっぱりクオリティコントロールというか、今よりもさらに上を目指した方がいい。そういう部分を上げるための提案はいろいろとさせてもらいました」

Q:受け入れない選手もいましたか。ガードが堅いというか。
「ガードが堅いというか、中村直志は自分を持っている選手でしたね。だから『こういうのどう?』と聞いても『いや、オレはいいです』みたいな感じは他の選手よりも長かったです。その後は信頼関係を築くことができましたけど」

Q:外国籍選手も多かったですが、彼らとのコミュニケーションは大変だったのでは?
「逆に楽しくやれましたよ。今もそうですが、やはり異国の地に来てサッカーをする選手に、僕は生活のサポートはできません。ただサッカーのために彼らは何十時間もかけて日本に来ているわけです、ブラジルやヨーロッパの方から。すごく不安があると思うんです。その不安を取り除いてあげるのも大切なことだと思いますが、だからと言って特別な何かをしてあげるのではなく、ピッチの中ではそういう不安のないようなサポートをしてきたつもりです」

Q:外国籍選手はスパイクの改良についてはどんな反応なんですか?
「良い反応ですよ。例えばもともとついているスパイクの紐が少し長く感じていて、それをカットして使っていた選手がいたんです。でもそれだと靴紐はほつれていってしまうので、それはあまり良くない。だから切ったところをこうやって加工してみたらどう?とか、少し短い靴紐に代えてみたらどう?と教えると、『すごく良いよ!』と。ほんの10cm、20cmの長さの差で喜んでくれるしプレーもやりやすくなるんですよ。繊細ですよね。そういうフォローはいろいろな形でできたかなとは思っています」

Q:ヨーロッパの選手と南米の選手でリクエストは違ったりするものですか?
「いや、基本的にサッカー選手は国に関係なく、共通していますね」

Q:注文が多い選手もいるんですか。
「それはあまりないんですが、無理な注文をしてきた外国籍選手はいましたね。『この黒のスパイクを白くしてくれ』って(笑)。いやいや、それは無理だよと。白を黒にはできるけど、黒は白にできないよと。それは元々を白で作ってもらうしかないからって。ブラジル人のストライカーでしたね(笑)」

Q:それぐらい何でもできると思われていたということですね(笑)。
「どうなんでしょうね(笑)。とりあえず言ってみて、どんな答えが返ってくるかなくらいのことだったとは思うんですけど。ただサイズのところでは、スパイク一足で何万円もするわけですし、スポンサーが付かない南米の選手とかでは自分で買ったり、もらったりするので、自分に合ってないサイズのスパイクを履いてたりするんですよ。でも『これ一足しかないからしょうがない』って言うけど、それだと足にも悪いし、ワンサイズ大きいのにしようかとか、ないなら革を伸ばして履こうとか、そういうこともしていました。それもすごく喜ばれました。ホぺイロとしてできることを全て、チームのためにやってきました」

Q:この仕事をしていると変わったスパイクも見てきたわけですよね。
「今、ニットのスパイクが出てきていますよね。足首まで続いているような。ああいうタイプは最初にプーマさんが出していたんですよ。2003年ぐらいなんですけど。それを見た時にはすごいアイデアだな、と思いました。それが10数年後にこういう形で他社が改良を加えて出してきたことにはまたすごいなと思っているところですね」

Q:ああいったスパイクの手入れは革製品とは違うのですか?
「いや、普通にやりますよ。ちゃんと汚れを取って、使えば必ず汗をかくので、しっかり乾かしてあげるという。そういう作業は必ずします」

Q:外国籍選手によっては、その母国独自のメーカーのスパイクを使っている場合もあるんですか?
「それもありますけど、逆に日本製のスパイクを履きたがる選手が多かったです。メイド・イン・ジャパンに外国の方は憧れがあるみたいです。日本製への信頼性があるみたいで。昔は電化製品とかも日本のブランドはすごかったので、その流れでスパイクも『これはメイド・イン・ジャパンなのか』という感じがあったみたいです」
<2>へ続く

reported by 今井雄一朗

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