赤鯱新報

【クラブニュース】宮地元貴がまさかの完全移籍。不屈の男は松本で第2の“ルーキーイヤー”を歩み出す。

本日13日、宮地元貴の松本への完全移籍が発表になった。シーズン途中の移籍は珍しいことではないが、大卒新人がルーキーイヤーに半年でチームを去るというのは異例中の異例の事態だ。確かに高卒に比べ大卒は即戦力という側面が強くはあるが、プロの水にこれから慣れていこうという選手をこうも簡単に見切ってしまう現体制の決定には、いささか早計ではないかという疑問も浮かぶ。昨季、群馬で大活躍を見せた瀬川祐輔が大卒2年目にして大宮に移籍した例はあるが、それも結果を残したからこそのオファーだった。対して宮地はまだ天皇杯1試合に出場したのみで、ここから実力を蓄えていく段階の選手だ。今回の移籍が期限付きでないことは、彼へのクラブの評価が「修行してこい」というものではないことを意味する。その判断はあまりにも寂しく厳しいものだったという印象は拭えない。この夏の移籍市場における名古屋は、悪目立ちが過ぎる。

宮地本人はといえば、「僕は名古屋が大好きなんです」とクラブ愛を隠そうとしない。だからこそ今回の決断は、彼が一人のプロサッカー選手として、最も難しく、最も辛いものだったことは想像に難くない。実直な彼は今日から松本というクラブににそのすべてを捧げることだろう。そうした彼の思いや努力する姿を、名古屋の練習場で見られなくなるのはこの上なく残念なことだ。その感情は以下に綴る宮地の言葉を読むに、なおさらに強くなる。

しかし、何を言っても既に決定した話である。宮地も心機一転、第二のルーキーイヤーを充実させるべく気力を蓄え、新天地へと旅立っていった。彼の活躍を純粋に祈りたい。名古屋への名残惜しさを胸に秘め、新たな戦いに挑む若者の未来には、無限の可能性が広がっているからだ。

●宮地元貴選手
移籍を決断するのはどこまでも行っても自分自身というのは大前提として、最初から自分にその考えがあったかといえば、それはありませんでした。ただこの夏の移籍ウインドーに向けて、そうした話が僕にもいくつか届きました。最初はJFLやJ3のクラブから話が来て、それも最初は断ったんです。ただ、そこからですね。少し考えるようになったのは。自分としてはここで我慢して、グランパスで花開きたいと思ってやっていくのが一番だとずっと思ってきました。でも一方で、自分で自分の価値を高めないと、もうサッカー選手として終わってしまうんじゃないかという不安が出てきてしまった。そこですごく悩みました。一度外に出て自分のプレーをいろんな人に見てもらったり、そこで評価されて試合に出場する。もちろん、どんなチームでも極論を言えば試合に出られる保証はないんですが、そこに可能性が見えてきたのも確かでした。

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