川本梅花 フットボールタクティクス

【無料記事】ブラジル社会の二重構造を描くドキュメンタリー【コラム】映画「ジンガ」を見て

映画「ジンガ」を見て

映画『ペレ・伝説の誕生』を見る前に
―「ジンガ」について知っておこう

はじめに

「ヨコハマ・フットボール映画祭」が、Brillia SHORT SHORTS THEATER(ブリリア ショートショート シアター)にて開催される。2017年2月11日(土・祝)に初日を迎え、14日(火)を除いて17日(金)まで上映がある。映画祭の中で、2月11日(土・祝)14:50から上演される『ペレ・伝説の誕生』の映画コラムを書くことは、本サイトでも伝えた。

【時間の暴走】第3話:みんな見に行こうよ!「ヨコハマ・フットボール映画祭 2017」

そう予告したまではいいのだが、肝心な事柄を伝えていないことに気付いた。それは、「ジンガ」が何かを読者は知っているのかという問いである。映画『ペレ・伝説の誕生』は、「ジンガ」を知らなければ、共感や共鳴ができなくなっている。それだけ「ジンガ」の持つ意味作用が大きな影響力を与える映画だと言える。

「ジンガ」が何かを伝えるために、ちょうどいいテキストがあった。それは、サッカーに夢と希望を抱くブラジルの若者たちを映し出す傑作ドキュメンタリーと呼べる、『ジンガ』(「The soul of brasilian football」)という作品である。この映画のストーリーは、以下のようになっている。

『ジンガ』のストーリー

出演者それぞれの出身地にまつわる音楽をバックに、リズムとテンポがあふれるブラジルのサッカーをスタイリッシュな映像とカット割りでつづるドキュメンタリー。ブラジルにおける生活格差や風俗をきちんと映像に納め、ブラジル人の魂に宿る「ジンガ」を描き出す。映像の中には、元ブラジル代表のロビーニョと2004年フットサル世界選手権でMVPに輝いたファルカンとの対決も必見だ。

踊るように蹴り、歌うようにゴールする

「ジンガ(ginga)」とは、ポルトガル語で「揺れる(スウィング)」の意味。映画のタイトルとなったこの言葉は、ブラジル人の心のよりどころとなるシンボル的な意味を表す「記号」であると言う。それは、彼ら特有のリズミカルな動きを生み出す身体性に由来する。フットボールにおいては、ドリブルの際の瞬発力やフェイントの時に見せるコミカルな足技を指す。またブラジルの護身術カポエイラのアクロバティックな動きのことをも示すのである。

「ジンガ」がポルトガル語に由来するのは、その昔にブラジルがポルトガル領であった歴史的な背景があるからだ。ブラジルという国は、そこに移り住んだ多くの欧州人、16世紀前半に彼らが奴隷として連れて来たアフリカ人たちなど、さまざまな人種と民族からなる人種混合社会から形成されている。

ジンガ(=スウィング)しなければ意味がない

ポルトガル語の「ジンガ」の意味が英語の「スウィング(揺れる)」と同義であることから、僕が最初に連想したのは、アメリカのジャズピアノ奏者デューク エリントン(1899~1974)の曲である。そのタイトルは、「It’s dont’s mean things」(邦題「スウィングしなければ意味がない」)。この曲の歌詞に、「スウィートもホットもスウィングしなければ意味がない」とある。ホットとは、ビートを強く前面に押し出して自由に演奏する、黒人の演奏スタイルに対する言葉だ。それに対してスウィートは、白人に対するもの。アレンジされた譜面を中心に演奏されてきた白人のスタイルを言い当てている。したがって、エリントンのこの曲には、「黒人も白人もスウィングしなければ意味がないんだ」という強いメッセージが込められている。

人種混合社会のブラジルにあって、サッカー選手の数は黒人系が多くを占める。しかし、鹿島アントラーズで活躍したレオナルドなど、白人系であっても名の知れたサッカー選手を輩出している。重要なのは、黒人系や白人系という人種ではなく、ブラジルというサッカー先進国の環境の中で生まれて、そうしたブラジル文化とともにどのように育ってきたのかが重要なのである。つまり、黒人系であっても白人系であっても、ブラジル人というカテゴリーから逃れられないのだ。逃れられないという実感は、ブラジル人の身体性や精神性の萌芽(ほうが)である「ジンガ」を意識させられる場面に、ブラジル人ならば遭遇するからだと、映画の中で監督は主張する。

ここで、30クラブ以上の監督を務めてきたネルシーニョ(ヴィッセル神戸監督)の発言に注目したい。日本とブラジルのサッカー文化の違いについて、彼はこのように語った。

「ブラジル人の男の子だったら、クリスマスで最初にもらうプレゼントはサッカーボールです。ブラジル人の血の中にサッカーというものが流れています。それだけサッカーという存在が大きいんです。なので、はだしでも何でも、道路でもどんな場所だろうとボールを蹴っていました。みんなが好きなサッカーをそれぞれ好きなようにやっていると思うんですね。子どもの頃から、そうしたサッカー文化という歴史の中でブラジル人は生活しているのです」。

ドキュメンタリー映画『ジンガ』は、ネルシーニョの話した「ブラジル人の血の中にサッカーというものが流れている」ことが、どのようなものなのかを、映像を通して僕たちに教えてくれる。

抵抗のシンボルとして伝承される

護身術カポエイラの動きは、フットボールで用いられる相手の動きを見て逆を取るなどの動作に類似するものがある。この護身術は、奴隷となったアフリカ人が支配者の暴行から身を守るために編み出されたものだと言う。当時、奴隷たちは、武術を練習することを禁止されていた。そこで彼らは、音楽や歌に合わせてダンスをしているように見せかける。そうしたカムフラージュの結果、現在に伝わったと言われている。

つまり、「ジンガ」という言葉は、身体性では、カポエイラやフットボールの軽快で細かい動きを差し、精神性では、陰湿な要素を明るい要素に変えることができる「力の源」となろう。だからこそ、この言葉は、ブラジル人にとっての、心のよりどころとなるのだ。こうした「ジンガ」が、映画に登場する若者の希望を支えている。それが、この映画のメッセージである物語の核となっている。

監督フェルナンド・メイレレスは、リオのスラム街を描いた『シティ・オブ・ゴッド』を撮った人物。撮影には、実際にスラムに住む住人から出演者を募集した。彼らにテーマを与え即興でせりふを作っていった。これは、参加型の「ワークショップ」というやり方なのだが、同じ手法で撮ったのがドキュメンタリー『ジンガ』である。

映画『ジンガ』の登場人物、10人の若者をそれぞれ紹介すると――1人目は、スラム街に住みフラメンゴの入団テストを受けるロマリーニョ(リオ出身)。2人目は、典型的なアッパーミドル家庭に育ったセルジオ(サンパウロ)。3人目は、ビーチサッカーにいそしむ女性ナタリー(リオ)。4人目は、スラム街からプロテストを目指すパウロ セザール(サンパウロ)。5人目は、アマゾンの奥地で暮らしアマチュア大会に出場するセウソ(パリカトゥーバ)。6人目は、事故で片足を失いパラリンピック出場を目指すウェスクレイ(ニテロイ)。7人目は、カポエイラの指導者となるガリンシャ(サルバドール)。8人目は、フットサルの名選手ファルカン(ジャラグア・ド・スル)。9人目は、リフティングの連続記録を持つ女性カリーヌ(サンパウロ)。そして10人目が、サントス在籍当時のブラジル代表となったロビーニョ(サントス)である。

ブラジル社会の二重構造を描く

彼らは、何らかの形ですべてフットボールに関わっている。監督メイレレスは、ブラジル社会の実情を表現するために、特に対照的に描こうとしたのが、スラム街からプロ選手を目指す黒人系のロマリーニョとパウロ・セザールと、白人系で裕福な家柄のセルジオだろう。前者は、「夕食をたくさん食べるために昼飯を抜く生活」や「車道ではだしのままフットボールをしなければならない環境」にいる。後者は「お金のためにプロになりたいわけではない」という主張や、「足技を覚えるためにインターネットの動画サイトが利用可能な環境」にある。

3人の少年たちは、同じ「夢」を見ている。それは、プロ選手になることだ。しかし現実は、例えばロマリーニョがプロテストに22回も不合格だったように、「夢」には優しくはない。そう言った「苦難」とか「挫折」を乗り越えさせ、夢を持ち続けさせる力が、「ジンガ」という概念そのものなのだろう。ブラジル人たちは、「ジンガ」によって支えられ、「ネガティブ・シンキング」を「ポジティブ・シンキング」に変えていく。このドキュメンタリーは、ジーコが「フッチボール・アレグレ(楽しいサッカー)」と呼んだ、見ている者をわくわくさせるようなブラジリアン・フットボールの根幹を、僕たちに教えてくれるのである。

『ペレ・伝説の誕生』は、ブラジル人の「ジンガ」の復権を高らかにうたっている映画なのである。物語も始まりは、1950年FIFAワールドカップが行われた時で、ブラジル人を失意のどん底に落とし込んだ「マラカナンの悲劇」と呼ばれた日であった。

川本梅花

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