「元選手」としての賞味期限はもう過ぎた……石川直宏がクラブコミュニケーターとして目指す場所【サッカー、ときどきごはん】
新しい職業に就き、駆け抜けてきた3年半で彼は何を感じ、いま何を考えているのか? 自分の想いを素直に伝えるために、丁寧に言葉を選び、熱く語りかけてくる姿勢は今も昔も変わらない。現役引退後も自問しながら真っ直ぐに生きようとしてきた石川直宏の軌跡を聞いた。
■「何やっているの、あの人?」が一番の褒め言葉
もう引退して3年経ちますよ。あ、4年目か。あっという間ですね。もう今年で40歳になりますから。
引退して「クラブコミュニケーター」という役職についていますが、東京のファンやサポーターも、多分「そもそも何やっているの、あの人?」っていうのが僕のイメージだと思います。
今年だけでも関わってきたことが「ピースメッセンジャー」「防災体験」「サッカークリニック」「分身ロボット OriHimeサッカー」「オリパラ活動」「横須賀シーガルスと社会貢献」「ブラインドサッカー」「多摩少年院サッカー教室」「アスリートが新たな自分と出会える場『NAO’s FARM』での農業事業」「DCD 発達性協調運動障害」など…。
でも僕にとってみると、「何やっているの、あの人? でも何かやっているね」っていうのが一番の褒め言葉というか。信念を持って取り組んでいます。
引退直後に社長に伝えたのは、自分が現役でやってきたこと、そこで感じたこと、そしてこのクラブを強くしていくためにはこういうことが必要なのではとかを話しました。
そこで「クラブコミュニケーター」というポジションができましたけれど、それはまさにクラブが一体感を持って前に進むっていうところを考える役割です。
東京というクラブは僕が2002年に入ってきたときよりも規模は大きくなって人も多くなったし、ファン・サポーターも増えたし、いろいろな選手がまた東京に関わってくれるようになってます。
その中で「そもそも東京らしさって何かな?」って自問しましたが、やっぱり「みんなで一生懸命粘り強く最後まで戦う姿」がベースにあるなって。それがこれからもずっと続くためにはどうしたらいいかと考えました。
自分はもうピッチには立てないので、どうやってその思いを伝えていくか。自分が一方的に伝えるだけじゃなくて、いろいろな立場の人に寄り添うというか、その中でコミュニケーションをとりながら、一体感を作っていく。「つながる」「つなげる」という言葉を一番大事にしてます。それが自分の役割ですね。
■誤解されているFC東京というクラブへのイメージ
「クラブコミュニケーター」というと、東京のファン・サポーターやスポンサーのところに行って話を伝えるだけに思われがちかもしれませんが、やりたいと思っていたことはもう1つありました。
それは自分の視野を広げることです。僕はずっと東京でやってきましたので、多分、東京の視野でしかない。見ているところが狭いのではないかと心配をしていました。
サッカー界はいろいろなところからサポートをいただいてます。その考え方は地域密着というJリーグの理念でもありますし、東京の想いでもあります。けれど、東京だけの視野から見てたら、多分クラブが勝手気ままに判断して発言してるということになってしまいかねない。
という事から、サッカーに限らずもっと広い世界を観たいと考えていました。それでいろいろなアスリートの方や、スポーツ以外の分野のいろんな人と共同して、お互いに楽しく情報交換をしました。そのとき、関係の質を高めるためのポイントがあったんです。そういうことを全部ひっくるめてクラブの力にしたいです。
そうやって僕が外で学んだことをクラブに伝えようと思っています。たとえば長野県の飯綱町に行ってきましたが、通常ですと、我々が長野県には中々行く機会が無い。
でもそこで取り組んでることの素晴らしい部分を東京に還元できると思いました。長野県には農業地域との連携で地域活性している場所が飯綱町にあって、それを東京でできないかなって。
実は東京でも2019年に三鷹市の伊藤園という都市農園で野菜の収穫を一緒にしました。伊藤園で働く方々も東京を応援してくださっていて。まだ全然進んでない話なんですが、長野県に学ぶ部分があるかなと思えてきて。
ファン・サポーターと僕とそういう地域、伊藤園さんでその都市農園を盛り上げていくとか、サッカーだけじゃないコミュニティを作って、何かストーリーがそこに生まれて、そこからサッカーをしようっていうところに持っていくとか。
他のイベントの開催に至るまでの部分もストーリーだと思います。サッカーも試合運営のスタッフ、ボランティアさんやメディアがいて、ピッチの上で試合があって成り立ってるんです。
少年院でサッカー教室を開催するためには、いろいろな打ち合わせがあって準備をして、流れを作って、いろんな人に協力してもらわないとできません。そこにストーリーがあります。
全くサッカー知らないけれど、準備をする中で何か一緒にやってみよう、やって楽しいとか、そう思える関係性ができてこそ、多分いいものが作り上げられます。そういう思いが自分にも、多分協力してくださるみなさんにもあります。
引退後に学んだのは、サッカーで伝えられることが生活のエネルギーになることは、僕の想像以上にあったということです。サッカーと、東京と関わっている人たちは、それだけの熱があります。その熱量は想像以上で、週末が楽しみで仕方ない生活、人生の活力になってるなど、いろんな地域に行って直接声を聞いています。
あと最近でいうとコロナ禍の影響でなかなかスタジアムに足を運べない方々に、新たな楽しみを持ってもらうということで、「青赤パークオンラインpresented by めちゃコミック」というライブ配信をFC東京公式YouTubeチャンネルで実施しています。
そのライブ配信に寄せられたエネルギーがすごいですよ。勝ったときのすごい喜びようと、負けたときのもう人生終わるんじゃないかってぐらいの絶望感を沢山の方がコメントしてきます。選手のときもその熱量はもちろん感じていましたけれど、よりファン・サポーターの方との距離が近くなって、さらに伝わってくるというか。
一方で感じたのは、サッカーを知らない人には全くそういった熱さってわからないと。本当に100パーセントかゼロパーセントか。それが分かって昨年いろいろ考えました。「これってすごいチャンスだな」って。
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