Jウォッチャー ~日本サッカー深読みマガジン~

無数にあり得た正・負のターニングポイント。18試合未勝利の後悔だけが最後に残った。~ターニングポイントを振り返る(2)~名古屋グランパス編~

■【集中連載】ターニングポイントを振り返る
第1回:清水エスパルス編:明け方までの緊急ミーティングが奏功。攻撃にも大きな効果をもたらした”守備の修正”。
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名古屋のクラブ史上初のJ2降格という悲しい出来事に、ターニングポイントというものは明確にはなかった気がする。あるのは「あそこで勝点が取れていれば変わったのでは」「あそこで勝っていれば流れが変わっていたのでは」という悔恨ばかりで、その集合体としての18試合連続で勝利がなかった4ヵ月間という期間があるいは、広く捉える上でのターニングポイントといえるのかもしれない。

■柔軟性がなかった采配。固定できなかったトップ下のポジション
なぜそこまでの長期間にわたって勝てなかったのか。理由は種々様々と考えられるわけだが、その一つに小倉隆史元監督の采配に柔軟性がなかったことが挙げられると思う。小倉元監督の基本的な戦術は、4-2-3-1の布陣を組み、守備では前線からのプレスとそれが外された時の中盤ブロック守備を敷くこと、攻撃ではサイドを起点としたポゼッションと、プレッシングからのショートカウンターという全方位攻撃を掲げていた。しかし戦術と選手起用のバランスは完全に戦術よりで、「このポジションの選手はこういう動きをする」といういわゆる“はめこみ型”の指揮官であったことは間違いない。


中でも2列目に対する要求は厳しく、前線からのプレッシングと攻撃に切り替わった際の裏のスペースへの動き出し(「モビリティ」と表現された)を同時に求めるため、そのポジションで起用された選手は口々に「キツイ」と口にしていたものだ。

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