「川崎フットボールアディクト」

【インタビュー】田中裕介(1/4)「鹿島セントラルホテルの人に差し入れをしてもらい感激」(2478文字)

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2014年12月4日に、契約満了が発表された田中裕介の移籍先が明らかになったのが、2015年1月13日のこと。オーストラリアAリーグ所属のウエスタンシドニーワンダラーズだった。越年した田中裕介の去就報告をやきもきして待ったサポーターは、とりあえずプレー先の決定を喜び、あまりに遠いチームへの移籍を嘆いた。

その田中裕介が1月14日の夜便で成田から旅立って4ヶ月あまり。短い期間の中で、Aリーグと、ACLを平行して戦うという濃密な経験はどんなものだったのか。日本への帰国翌日に、語ってもらった。

全4回の1回目は、シドニーでの生活について。

■シドニーの生活

――まずは、オーストラリアでの生活はどうでしたか?
「生活は、こんなに不自由がないか、という感じでした。一言で言うと」

――最初はホテル住まいで…。
「約1ヶ月でした。その間に家を探して。ただ、契約が半年だったので、ぼくと洋次郎の条件に合ういいなぁと思う物件というのが結構まあ、高くて。しかもなかなか難しい問題があって、向こうは家自体が結構広い。それを一人で使うのはどうかなという話になって、だったら一緒に住もうかということになった。それで3ヶ月間シェアしました」

――ACLの鹿島戦の時に西部(洋平)くんが和食を差し入れてくれたのは、ACLでシドニーに行った時に食事が酷かったからだと聞いたのですが、いざ住んでみたら意外と食事も大丈夫だったと。
「川崎の時にACLで遠征した時に泊まったホテルは正直ダメでしたね。だいたいホテルの飯は良くないです。でもシティー(シドニーの市街地)のレストランに行けば普通に問題なかったです。美味しいものはあります。
だから試合前に食べるホテルの軽食は正直『はっ?』って感じでした。でも、オーストラリア人の口には結局それが合うらしいです。味が薄いんですよ。下味も付いてないし」

――肉を素で焼いて、塩と胡椒で味付けした、みたいな。
「そうそう。そのくらいの感じで。でも日本はいろいろな種類の調味料があって、というのがるので、そこは物足りなかったです」

――そういえば、西部くんの差し入れは、どれくらいで無くなったんですか?
「結構、すぐに無くなりました。
あと、これも書いておいて欲しいんですが、鹿島と試合をした時に、これは嬉しかったんですが鹿島セントラルホテルの人がめっちゃ差し入れしてくれたんですよ。オレと洋次郎に。『日本人で頑張ってる』って、ホテルのインスタント食品とか、ふりかけとか。洋平さんみたいな差し入れをめっちゃくれたんです!
そんなの普通やらないじゃないですか。そういうところも日本人は素晴らしいなと思って、オレは感動しました。何かのタイミングでこれは言いたかったんですが、言う機会がなかなかなくて(笑)」

――それはホント、日本人ぽいね。
「そうなんですよ」

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