「川崎フットボールアディクト」

【インタビュー】楠神順平(1/3)戦いの舞台をオーストラリアへ


■今現在
――現所属のウエスタンシドニーワンダラーズ(WSW)には2016年の夏に移籍しましたが、新たな挑戦という位置付けになりますね。
「そうですね。全然試合にも絡んでなくて、とりあえず現状を変えなければならない、ということで迷うことはなかったですね」

――鳥栖では、フィッカデンティ監督のサッカー観とうまく合わなかったということですか?
「そんなこともなかったんですが、自分のプレーがイマイチ評価されなかったということはありました。監督の言ってることはよく分かるんですけどね」

――風間さんのときは川崎で使われまくった。ということは監督によって評価されるポイントが違うということでしょうか。
「本当にそれは感じます。よっぽど憲剛さんくらいまでスーパーな選手ならどの監督でも使われると思いますが、それ以外、監督によって好き嫌いというか、自分のやりたいことを表現できる選手というのが重宝されるのかなと思います」

――ちなみにフィッカデンティ監督からはどんなところを求められていたんでしょうか。
「裏に抜けたり、本当に運動量に関わるところが多かったですね。ボールを持った時というよりはボールが無いときのことばかりをずっと言われてました。それを意識して走ってはいたんですが、まだまだだったのかなと」

――ドリブルが得意な選手だからそこは真逆の要求だったわけですかね。
「どちらかと言うと自分は受けたかったので。監督が思ってることはやろうとしてたんですが、どうしても難しいところがありました」

――監督が求めるサッカースタイルがあって、自分の個性があって、それぞれに監督に近づけないと使ってもらえない。それを成長と呼べば、そうなのでしょうがその反面で個性を消すことにもなるのかなと思っていて、これに選手は非常に悩むところなのかなと思ったのですが。
「そうですね。正直そこは。特にボクみたいなタイプのプレーヤーは自分の個性が消えたら終わりやし、言ったら、裏に走って頑張ることなんて誰にでもできることなので。だからそこを伸ばしつつ、どこかで自分の特徴をアピールしないといけない。そこのバランスはやっぱり難しかったですね。それをしすぎても良くないですしね」

――裏抜けというと小林悠を思い出しますが、彼はパサーがボールを持った瞬間に何度も何度も繰り返し動き出す。あれは難しいセンスなんですかね。
「あれは難しいと思います。あいつはディフェンスラインとずっと駆け引きできる選手なので。ぼくは全然それをしてきてなかったので」

――感覚的にもよくわからないというところがあったんでしょうか。
「見ながらやってて、特に鳥栖では2列目からの飛び出しだったので、ボクの場合は。結構長い距離を走っての飛び出しが多かったので。悠の場合は目の前のDFとの駆け引きだけでできるんですが、ボクの場合は長い距離を走っての裏ということで、おとりの意味も多かった。相手を下げるという働きが結構求められていました」

――味方を追い越すことで、マーカーを引きつけつつ相手のラインを下げさせて味方の選手のスペースを作る、みたいな。
「鳥栖のときの裏抜けはそういう役割が多かったですね。本当に自分が裏に抜けてGKとの1対1になるんじゃなくて、とりあえず味方のために走ってスペースを開けるという動きです」

――その味方がボールを持ったときに見てくれたらいいけど、なかなかそこの連携は難しかった?
「それはそうでしたね。トップ下のところはそれが求められていたので鎌田大地とかは裏に走って、ということをやっていたと思います」

――順平くん的にはドリブルで勝負したい。
「それがボクの武器ですし、そこで勝負したいというのがあって」

――突き詰めていくとチーム選びに失敗したという事も言えるんですか?
「失敗したとは思っていませんが、その時にオファーしてくれたのは鳥栖だけでしたし、プレーの場を与えてくれた鳥栖で頑張ろうとしか思っていませんでした」

――鳥栖に決まる経緯は?
「セレッソとの契約が終わり次のチームを探している中で鳥栖が声をかけてくれたという状況でした」

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