中野吉之伴フッスバルラボ

【無料コラム】子どもは育てるものではない?育成のスタートは彼らが育つ環境を整えること

▼ 育成って何だろう?

《子どもは育つ》

初めて、この言葉を意識したのはいつのことだろう。日本では《育成論》という言葉が盛んに使われ、ここ数年はドイツに注目が集まっている。その前はスペイン、それ以前はブラジル、フランスだったか。

「日本はワールドカップで優勝した国の動向を追いたがるよね」

普段は大してサッカーに興味のない人でも、こんなことを口にしたり、耳にしたりしたことがあると思う。結果を出した国から学ぶことがたくさんあるのは当たり前だ。それが悪いなんてことはまったくない。

自国の現状を分析し、他国の実情と照らし合わせ、理論の先鋭化や最適化を図り、現場に根付くように普及させる。

ドイツもスペインもブラジルもフランスも、そうやって学びの旅を続け、いまの基盤を作っている。彼らの取り組みから、私たちが学ぶ努力を続けなければならないのは明らかなのだ。

でも、何を、なぜ、どのように学ぶのかを見誤ってはいけない。

どの国の何に注目し、なぜ参考にするのか。自分達には何ができていて、何が足らないのか。どうなることを願っているのか。そのための基盤はどこまで充実しているのか。

活用するためにはそうやって自分たちの立ち位置を詳細に分析していないと、華々しいことばかりに目を奪われる。

たとえばだいぶ前になるが、どこかでこんな見出しのコラムを見たことがある。

《イニエスタやシャビの作り方》

その論調は「メッシやロナウドを《作ること》は難しいが、イニエスタやシャビなら《作れる》」というものだった。正直、僕には違和感だらけだった。プレー理論さえ正しく整理できて、それをそのまま伝えることができれば、イメージ通りの選手が育つというわけではないからだ。

サッカーの試合で似たようなシーンはたくさんあるのは確かだ。再現性の高いプレービジョンをイメージできるようなることはできるだろう。でも同じ状況の、同じシーンは皆無だし、すべてが同じようには動かないのがサッカーだ。

サッカーの試合で関わるのは自分一人だけではない。味方、相手、審判、観衆、天気、試合環境と様々な要素が影響を及ぼす。だからこそ、選手にはチームとして再現性の高いプレーイメージを共有しながら、相手との駆け引きの中で即興性も求められる。

プレッシャーのかかり方一つでピッチ上で見える景色だって違ってくる。相手がほんの1mイメージとずれた位置に立っているだけで、次のプレービジョンに迷いが生じることも普通にある。

では、育成とは何だろう?その参考になる記事を以前読んだことがある。

サビオラ、リケルメ、アイマールなど、数々のスター選手を世に送り出したアルゼンチンの名門クラブであるリバープレート・ユースチームの育成部長の話だ。

「彼らを作り出すことなんてできないよ。私たちは、ただ彼らが出てくるのを待つんだ。じっくりとね」

僕はここにおそらく大切な真実があると思うのだ。

私たち指導者はどこかで《選手を作り出そう》としていないだろうか。必死で《子どもの育て方》を模索していないだろうか。

ただ、そうやって飾りつけだけで華麗になった、作り上げられた選手は本当に優れた選手/人間と成長していくのだろうか?《スター風の選手》になっていないだろうか。

育成指導者として15年以上ドイツの現場にいて、ポテンシャルこそ極めて高かったのに、そうした問題で道を誤り、出口を見失い、そして表舞台から消えていった選手を何人も目にしてきた。

だからこそここで問いたい。

育成現場に必要なのは、《子どもが自ら育つ》環境ではないだろうか?
そして、どうすればそのような環境を作れるのかを考えなければならないのだろうか?

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