【コラム】神崎大輔がいなくなる長崎。
「まさか、こんなに長くここ(長崎)にいるとは思わなかった(笑)」。
JFL優勝やチーム在籍が最年長になるたびに、神崎大輔に話を聞くと、いつもそう答えていた。
最初に長崎で見たのは2009年の1月のこと。当時、地域リーグからJFLへ昇格したばかりの長崎が行ったセレクションの中に彼はいた。当時の神崎君のコメントは「上を目指している」。この時の神崎君は一度は同じJFLのソニー仙台に加入することが決まっていたのだが、「ギラギラしたところでやりたい」と長崎へくることを選択したのだという。
その年から神崎君は一気に主力の一人として活躍した。当時の背番号は6。この頃は気も強いので、ボールを持ったらドリブルして抜きまくってシュートというのが基本パターンで、後年に「昔はボール持ったら何が何でもドリブルってところがあったから(笑)」と自らでも語っている。
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