【ユナパな話】VOL.13「ケルンと日本の意外に深い関係」(取材・構成:西部謙司)2016/3/18
「生活はしやすいですね。住めば住むほど。人によって好みはありますけど、一番住みやすいんじゃないですかね」
長澤和輝にとって、ケルンはかなり居心地が良かったようだ。ドイツではベルリン、ハンブルク、ミュンヘンに次ぐ第4の都市だが、巨大都市の雑然として感じはなくてわりと整然としている印象だ。中央駅の前には、街のシンボルである大聖堂がそびえ立つ。
「日本人の多いデュッセルドルフにも車で30~40分で行けますし、オランダやベルギーにも近い」(長澤)
交通の要所であるフランクフルトも近く、ボルシアMGのメンヘングラッドバッハもそう遠くない。サッカーのコーチ養成で有名なケルン体育大学もある。
「体育大学の日本人やドイツ人ともつながりがあって、いい経験になりました。ケルンの人の性格は日本でいえば大阪みたいで、気軽に絡んでくれる人が多い」(長澤)
長澤がプレーした1FCケルンはドイツの名門クラブだ。「左足の芸術家」と呼ばれたボルフガング・オベラーツが60~70年代の看板選手。そういえば、鈴木淳前監督の好きな選手がこのオベラーツだったとか。左足一本でゲームを支配するプレーメーカーで、気性の激しさでも知られていた。ピッチを離れると気さくな人柄は何となく「大阪」というイメージだったかもしれない。
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