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[山下コラム]若き我が師 川崎康裕コーチ「幼稚園児から女子、大人までを対象とする指導のプロフェッショナルを目指して」(2014/10/21)

image川崎コーチ(写真後列中央)とアシスタントコーチを務める女性たち。都立飛鳥高校女子サッカー部の現役メンバー(同後列右と前列の2人)と、同部OGののんちゃん(同後列左)。のんちゃんは川崎コーチの片腕的存在だ。

 

[指導者]
川崎康裕 1979年5月23日生まれ、東京・北区出身
[選手歴]
十条FC、カスカヴェウ(現Fリーグ・ペスカドーラ町田)
[指導]
幼稚園児コース
小学生コース
小学生選抜コース
レディースコース
シニアスクール&個人フットサル
飛鳥すみれ幼稚園
飛鳥すみれFCコーチ(飛鳥すみれ幼稚園OBチーム)
都立飛鳥高校女子サッカー部コーチ
BALLENA BLANCA 城北レディース監督(東京都フットサルエントランスリーグ)
[指導資格]
ブラジルフットサルコーチライセンス
FIFA公認オーストラリアsoccerジュニアライセンス

 

imageノンさん(写真左)たちに鳥かごで遊ばれる川崎。写真奥が飛鳥高校女子サッカー部チームキャプテンのミヤシタさん。

 

[キムラノンさん(19歳)の川崎評]
「自分、今フリーターで。主に月曜日に川崎さんのアシスタントやってます。川崎さんは、飛鳥高校のサッカー部に入ったときからずっとコーチで。細かいパス練とかはフットサル系が多いですけど、ちゃんとサッカーはサッカーのことを教えてくれました。普通に怖いですし。でも、なんか、理不尽な怖さじゃないっていうか。バカヤロウとかいうときも、ちゃんと根拠がある怖さだからなんか納得できる、怒られても。みんな、怖いけど、尊敬っていうか。すごいです。たまにフットサル一緒にやりますけど、めっちゃうまいです」

[ミヤシタマサコさん(飛鳥高3年)の川崎評]
「部員は今48人いて、川崎さんはそこで指導をしてくれています。怖いコーチですね(笑)。怖いけど、でもちゃんとひとりひとりのことも、チームのことも考えてくれるコーチです。声かけが、いっぱいあるので。自分たちの代だけじゃなくて、次の代もその次の代も、ずーっと飛鳥のコーチでいてほしいと思います」

 

image写真手前の赤いシャツが飛鳥のゴールキーパーのマツオさん、その奥がイノウエさん。2人は口をそろえて「思い出に残るいい部活だった」と語った。

 

[イノウエサクラさん(飛鳥高3年)の川崎評]
「川崎コーチですか? すごい厳しいですけど、優しいです(笑)。厳しさのほうが多いですけど(笑)。キツいこというのもあるし、メニューも走りとかキツいです。でも、自分のためになると思うと頑張れます。自宅は大田区ですけど、ここの女子サッカー部に入りたくて北区まで通ってます。はい。思い出に残る、いい部活でした(笑)」

[マツオチズさん(飛鳥高3年)の川崎評]
「自分、飛鳥入ってから体でかいからゴールキーパーやれっていわれて。最初は強いボールはやだー、こわーってなったんですけど慣れました。コーチは怖いし厳しくて、わぁ怖い! ってなるけど優しさも感じられる。だから別に、いやだー! とはならないし。飛鳥にはキーパーコーチはいないんですけど。去年の合宿のときは(FPの)みんなが山中湖一周している間にキーパーは別でキツいメニューを川崎さんにやってもらいました。もう死ぬかと思いました(笑)。女子サッカー部で、都立で強いっていったら飛鳥かなって思って入ったんですけど。ホントに、キツいこともあったけど、今ではいい思い出ですね」

 

▼女子サッカー部の選手に囲まれて

川崎康裕(35歳)は地元の東京・北区でフットサルとサッカーのコーチを務めている。同区の滝野川体育館でのシニア対象スクール&個人フットサルは、僕も自宅からチャリでせっせと通ったものだった。足裏でのボールコントロールとインサイドキックに重点を置く指導は僕のようなボールに触る機会の少ない者にとって実に効果的だ。川崎は一方で都立飛鳥高校女子サッカー部のコーチをもう10年、続けている。同部のOGたち中心で構成するフットサルチーム、バジェーナブランカ城北レディースの監督もやってる関係で、川崎のスクールはいつも若い女性たちが彩りを添えている。子どもが大好きで、優しくて、しかもボールコントロールがうまいアシスタントコーチたちは子どもたちに大人気だ。そんなアシスタント役の女性たちの“川崎評”も聞いた。やんちゃな少年時代をサッカーで救われたと語る川崎。市井の一コーチの人生ドキュメントに付き合ってください。

まとめ◆デジタルピヴォ! 山下

 

image川崎コーチ(写真前列左端)は2006年、日本のトップチーム、カスカヴェウのメンバーとしてブラジル遠征を果たし現地のプロチームと対戦した。写真はそのときの記事の一部だ。今と変わらぬ少年の面影を残す笑顔で写真におさまり、専門誌の取材に「ブラジルは15歳のとき以来3度目。強烈なプレスを受ける中で2004年にはできなかった“前を向く”ことができた気がした」とコメントしている。なお、川崎コーチの同右隣はカスカヴェウの創始者で41歳の現在もペスカドーラ町田所属の現役Fリーガーとして活躍している甲斐修侍選手。川崎コーチが「恩師のひとり」と仰ぐ人物だ。

 

▼てんぐの鼻をへし折られたカスカヴェウ時代

「お山の大将じゃないですけど、何でもできたんで。そんなときに、ある人の紹介でカスカヴェウに行かせてもらって」。

22歳で日本のトップチームに入るいきさつを川崎康裕はそう語り出した。カスカヴェウでてんぐの鼻をへし折られたという。

「一番初日の日、今でも覚えてます、プレーにはいろんな自信もあったし、でも不安もあった中で、ここ(北区・赤羽)から2時間かけてカスカヴェウの練習場所のニコタマ(二子玉川)へ行って。あの、ホントに、なんていえばいいんだろうな…。普通のトレーニングから入れさせてもらって。基本的な練習を見たときに、もう、ショックがでかすぎて。いや、もう基本的な練習しかしてなかったっすね。もう、2時間の練習の中で、トラップ、パススピード、技術、全部違ったから。やっぱ、カスカヴェウの試合を上(観客席)から見てたのと、自分が入ってやったときの感覚が、まぁ、十条FCのときも都リーグで試合してましたし、けど、いやー、もう、全然、レベルが違いすぎて」

川崎がカスカヴェウに入ったのは、「カスカヴェウが全日本で優勝した年の翌年」というから、2002年だ。

 

imageシニア対象のスクール&個人フットサルの参加者の皆さんと。

 

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