デジタルピヴォ! プラス

篠崎隆樹(ペスカドーラ町田) 蹴球自分史5 ~高校1年、初の部活~(2016/10/31)

 

1984.2.22 生まれ 
1991~1996 まつひだいSC1996~1999 まつひだいクラッキス(現FCクラッキス松戸)
1999~2002 船橋北高校
2002~2003 Santo Andre(BRASIL)
2004~2007 CRAQUES
2007~2008 湘南ベルマーレフットサルクラブ
2008~ ASVペスカドーラ町田

 

船橋北高校サッカー部

高校は船橋北高校に入学してすぐサッカー部に入りました。
有名な高校じゃないんで部員も少なかったし、それこそ1年生で入ったときに3年生の全日本選手権の予選がもう5月、6月ぐらいから始まってて、そこに登録してもらえたっていうのもあって。中学校のとき、試合に出れなかったけど、地元の中学校から入ってきた選手よりは基礎技術というのは格段に違かったのかなというのは、そこに行って初めて今までやってきたことは間違いじゃないってことに気づけたかなと思いました。
小、中といいコーチに巡り合っていい指導を受けることができたのがよかったのかなと思いますし、高校のとき、それを改めて感じました。普通の中学校の部活でやってきた選手との、特に中学校時代の3年間の過ごし方っていうのはすごく重要だったなっていうのは感じました。1年生でいきなり全日本に登録されたことについては、まあ、そういう選手だっていう自負はしてなかったので、ちょっと戸惑いもありながらでしたね。もちろん先輩が最後、そこで負けたら終わっていくっていう現実があるわけですから、責任もありましたし。浮かれてるよりも先輩のために全力で戦うぞっていう意識でした。特に出れない先輩とかもいながらも、そうやって使ってくれたりとかしてたんで。そういう責任感っていうのはすごい感じていました。
予選の中では特に目立った活躍もできなくて。自分が1年のとき3年生たちはすごいいい選手が多かったんで。尊敬できる先輩もたくさんいましたし。ただ、そういう中でも、2つ下だからといって、甘やかすわけでもなく、いろんなことをいってくれましたし。でもやっぱり、優しく接してくれてたから。プレーはしやすかったですね。
厳しい中にも優しさがありましたね。ちなみにこの予選は関東の予選ぐらいまで行ったんじゃなかったかな。そんとき先輩たちのおかげですごく強かったので。最後は、八千代高校に負けて終わっちゃったんですけど。

その大会も終わって、3年生が抜けて、2年生と僕らの学年でチームをつくっていく中で、一個上の先輩たちもいい選手が多くて。3年生のチームに何人か入っていた能力の高い先輩がすごく多くて。足が速いとか。その人たちを軸にうまく使ってもらえてたかなっていう感じでしたね。自由に好き放題やらせてくれてたし。
僕は、とにかく負けたくない気持ちで小学校のときからずっとやってきました。テクニックとかそういうところに関しては絶対負けたくないって思っていたんで。もしかしたらそういうところを見てくれてたのかなと思いますね。子供のときからテクニックを磨くことが自分を生かす道だという信念でやり続けてきましたから。それが評価になっていたのかなと思います。もちろん、先輩たちの目にどう映っていたのか先輩たちに聞いてみないとわからないですけど。

Jクラブでなく部活で腕を磨こう

1年のとき、思い出に残るエピソードというと、自分がずっとクラブチームで育ってきたので、部員の少なさと、サッカーに対する熱心さっていうののギャップをすごく感じました。僕らは常にそういう環境下でいたし、千葉でいったらジェフとかレイソルを食ってやろうっていう気持ちで常にやってきた仲間たちがクラッキスでしたけど、高校の部活になったときに、変な話、生半可じゃないですけど、多分、年齢的にも一番いろんなものに興味が出てくる時期で。例えば、彼女をつくりたいとか、友達と遊んでたいとか、それこそタバコを吸いたいとか。

(残り 335文字/全文: 4874文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

日本サッカーの全てがここに。【新登場】タグマ!サッカーパック

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ