久保憲司のロック・エンサイクロペディア

エルビス・コステロ「レディオ・レディオ」 ・・・絶対に歌ってはいけないこの曲を生放送で歌ったコステロ (久保憲司)

This Year\\\'s Model (Dig) (Spkg)

パパ・ウェンバでエルビス・コステロの話を書いたら、評判良かったので、もっとコステロのいい話を紹介したいと思います。

僕はコステロで一番好きな曲は「レディオ・レディオ」です。5度マイナーやAm、ベースが上がっていったりしますが(これでラジオの周波数合わせている感じを出しているんですが)、Eのスリーコードで一瞬にして出来きあがったような曲です。コステロの中で一番パンキッシュな曲でしょう。なんでパンキッシュ かというとコステロの怒りがすごく出ているからだと思うんです。どういう歌かというと、当時、1978年、BBCのラジオ1がパンクのレコードをどんどん と放送禁止にしていてことに対する怒りです。でもね、この歌がいいのは、ラジオなんかクソだと歌っているんじゃないですよ。

 

https://www.youtube.com/watch?v=oOWwN3T2xkc

 

一番で歌われるのは、ラジオにかじりついていた少年の時の思いです。

 

I was tuning in the shine on the light night dial doing anything my radio advised with every one of those late night stations playing songs bringing tears to me eyes

輝くスイッチにダイヤル合わせば、レディオはなんでも教えてくれる。
深夜放送が流したあの曲にみんな涙しただろ。

「レディオ・レディオ」

 

Radio Radio - P/Sブルース・スプリングスティーンに全然負けてないすごい歌詞ですね。下手な訳ですいません。

でも、そのかっこいい歌詞の後に、コステロは、そんなラジオが突然、信じられないことを言い出したんだ、俺は自分のラジオが古いから壊れたのかと思った、と続けます。なんでも好きな曲をかけてくれるはずのラジオが、流す曲はラジオ局で選曲する、それが良識の声だから、と歌います。コーラスが「聞け、聞け、聞け」というのも洒落が効いてますね。

ラジオは素晴らしいはずなの、ラジオは最高なはずなのにどうなちまったんだ、という歌なのです。

普通の批判の歌じゃないんですよ。ネトウヨや陰謀論にはまっている人たちがすぐにマスゴミというみたいな歌じゃないんですよ。

どうせラジオなんかダメだろとかいう歌じゃないんです。

だからいいんです。

今だったらインターネットですよね。みんなを自由にするインターネットが、社会を変える夢のネットワークが、大きな会社をぶっ潰せるはずだった装置が、ある日、僕たちをコントロールする装置になっていたという歌です。

こんな歌を歌えるのはコステロがやっぱ普通のロック・ファンだったからです。

コステロのファンだったら知っていると思いますが、コステロは楽屋口で待っていたら絶対サインをくれます。雨の日で凍えるくらい寒い時、ファンが百人待っていても、最後のファンがいなくなるまでサインし続けます。僕はその間コステロが雨に濡れないように傘さしてました。大変だったのは俺だw

コステロになんでそんなにまでしてサインするのと訊いたら「昔、ビートルズのサインが欲しくって、ずっと楽屋口で待っていたら、ポール・マッカートニーがサインしてくれたんだ。その時、俺も思ったんだ、俺がアーティストになったら、どんなにしんどい時でも絶対にサインしてやろうって」

涙でしょう。

こうやって受け継がれていくんです。

Mccartney ポール・マッカートニーは全部ウェルカムの人で来たファンは全員家に入れていたんです。もしかしたらスケベなだけだったかもしれませんが、あの大スターがラブ&ピースを実践していたことは驚きでしょう。でも偉いんですよね、他のメンバーがいつも付きまとうファンに嫌気がさして、田舎に越したのに、ポールは最後までアビーロードの近くの家を離れなかったのです。とにかくファンも含めて全部ビートルズにしようとした人なのかもしれません。だからポールが最後に「キャリー・ザット・ウェイト」で歌った。“君はこれからずっと重荷を背負っていくんだ”と歌ったことはすごい重いんです。

ビートルズをやめてから、彼は田舎に引っ越すのです。誰もこないようなへんぴな田舎の小屋に。そしてその小屋で一人寂しく初のソロ・アルバム『マッカートニー』を作るのです。リンダとその娘ヘザーもいましたけどね。

これを真似しようとしたのがオアシスのノエル・ギャラガーです。ノエルの家も一時ファンに対していつでもウエルカム状態でした。世に言うスーパーノヴァ・ハウスですね。でも、ある日、“この中にサイコな奴がいたら、どうなる”とビビって、すべてシャットダウンです。まっ、正しい選択だと思います。

このノエルのエピソードはポールの影響だけじゃなく、クラッシュの影響もあります。クラッシュのツアー中のホテルの部屋もいつもファンで一杯でした。これを真似していたのがレッチリでレッチリなんかステージでホテルの部屋の番号入ってました。「今日は429号室に集合な」って。言われたフリーは目が点になってましたが、でも、誰も切れたりしない。

海外のロック・バンドはそうやって生きてきているのです。クラッシュやキュアーはツアーの追っかけをすれば、すぐにツアー・バスに乗せてくれますからね。レコーディング・スタジオにもすぐに入れてもらえます。そうやっていれてもらえたのがストーン・ローゼズのイアン・ブラウンとジョン・スクワイアです。

海外のバンドの周りをウロチョロしている人だとすぐにわかりますが、海外のバンドはすぐに名前をゲスト・リストに入れてくれるでしょう。あれもそういう発想なんです。

お笑いの世界でいうと、売れた先輩が売れない後輩におごるというあのルールに似てますね。

 

コステロに話を戻しますと、「レディオ・レディオ」はアメリカですごく人気のある曲です。TV放送中(あのサタディ・ナイト・ライブです)に突然予定の曲をやめて、絶対やってはいけないと言われた「レディオ・レディオ」をやったんです。局側はラジオ賛歌の局と思ったんですかね。それともこの局は検閲を批判する曲だと理解したんですかね。

 

続きを読む

(残り 487文字/全文: 3005文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

tags: Cream Elvis Costello Jimi Hendrix Oasis Papa Wemba Paul MacCartney Red Hot Chili Peppers The Clash The Cure The Stone Roses

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ