久保憲司のロック・エンサイクロペディア

【世界のロック記憶遺産100】スーサイドの1stは当時ゴミだと笑われていた。でも今の若者たちにとってはドアーズよりもリアル (久保憲司)

Suicide
スーサイドのアラン・ベガが亡くなった。近年スーサイドの評価が高くなっていただけに残念だ。

アラン・ベガとは一度だけ会ったことがあるなんて書くとプリンスの時と一緒になってしまうが、アラン・ベガは家にまで行ったことがある。85年くらいだったと思う。彼が住んでいたのはNYのグラマシー・パーク・ホテルだった。

キャメロン・クロウの『あの頃ペニー・レインと』で、主人公が頭の悪そうなツェッペリン・ファンに会うところだ。レッチリの時にも書いたが、ツェッペリンがどれだけ過小評価されていたかが、こんなシーンからもわかる。

海外ではツェッペリンなんか聴く奴は本当のロックが分からないバカということが定説だったのだ。

いい例がピーター・バラカンさんである。バラカンさんの“一番最初にブルースを拡大再生したクリームは偉くって、二番煎じのツェッペリンはただのタテノリのハードな音楽だ”という文章を読むたびに「ツェッペリンのことを何もわかっていない」と怒りを覚える。今度ゆっくりとツェッペリンの音楽、グルーヴの凄さをじっくりと書きたい。

アラン・ベガの住んでいたグラマシー・パーク・ホテルのことを書こうと思ったら、話がツェッペリンにとんでしまった。グラマシー・パーク・ホテルは古ぼけたロックンロール・ホテルで、アラン・ベガだけじゃなく、85年頃はジョー・ジャクソンも住んでいて、グラマシー・パーク・ホテルのバーによくいた。ジョー・ジャクソンといえばスティングまでとは言わないが、結構な大物だったと思うが、僕は彼を見るたびに、家も買えず、グラマシー・パーク・ホテルに住んでいるのか、アーティストも大変だなと思いつつも、ジョー・ジャクソンの名盤『ナイト・アンド・デイ』のようなライフ・スタイルでかっこいいなと思ったりしていた。

アラン・ベガの場合は、グラマシー・ホテルに住めるのか?!、どうやって生活しているのか??というのが正直な感想だった。一月いくらくらい払っていたんでしょうね。ホテルというより賃貸な感じで借りていたとは思うが、それでもマンハッタンのど真ん中みたいな所ですよ。当時でも月20万とかしたんじゃないのかな、よく払えるなと思った。アラン・ベガに「家賃いくら?」と訊こうと思ったけど、それを忘れるくらい汚い部屋だった。世に言う片付けられない人だった。アラン・ベガの部屋は生まれて初めて見たゴミ屋敷だった。アーティストになるの絶対嫌やなと思うくらいひきました。何であんな部屋を見せたんですかね、完全に「フランキー・ティアドロップ」の人でした。

 

 

チープなリズムマシーン SEEBURG SELECT-A-RHYTHM MODEL 601B (間違っているかもしれませんが「フランキー・ティアドロップ」のリズムは ティーン・ビートというプリセットを使っていると思う)、とガレージ・サイケやピンク・フロイド御用達のFarfisaという安いエレクトリック・オルガンで作られた狂気のサウンド、10分くらいある単調な曲、子供の頃は何を言ったい歌っているのか分からなかったが、後半に聞かれる絶叫に僕は恐怖していた。

 

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