ボブ・ディランの良さがわからないのは俺が悪いんだと思ってました ・・・ボブ・ディランの思い出 (久保憲司)
ボブ・ディランのノーベル賞、ここ何年間でとると思っていましたが、ついにとりましたね。
それで、いろんな人が「そんなに喜ぶことか」と言っておりますが、それは昔のポップス、ロックを知らない人たちですよ。
僕が小学校の時、今から40年前のことです。
家にあったビートルズのレコードのライナーノーツに“ビートルズも尊敬するボブ・ディラン”と書いてあったので、ボブ・ディランは聞かなあかんと思って、「ボブ・ディラン・ゴールデン・ベス」トみたいな名前の今だったら絶対買わないような2枚組を買いました。
けれど、これがビートルズみたいにワクワクさせてくれない。唯一いいなと思ったのは演歌みたいな「コーヒーもう一杯」だけ。3600円も払ってこんなじゃいけないと一生懸命聞いたけど、やっぱり「コーヒーもう一杯」以外好きになる曲はない。ビートルズも尊敬するボブ・ディランがこんなはずはない、どのアルバムが得かなんて計算した僕がいけないんだと思いました。
僕はその頃、定価÷曲数で、曲の単価が一番安いアルバムから買っていました。一番お得なのはビートルズの赤盤です。ボブ・ディランも2枚組を買ったのはお得だったから。当時は1枚組が2500円、2枚組が3600円でした。普通に考えると2枚組は5000円なはずなのに、3600円で買えるじゃないですか、2枚組を買うに決まっているじゃないですか、その頃の僕のお小遣いは1日30円だったので、2500円のアルバムを買うより3600円のアルバムを買うために1月以上またないとダメだったんですけど、僕は我慢してました。
それで次は正規のアルバムを買わないといけないと思ったんですけど、ボブ・ディランの有名なアルバムは彼女と歩いているアルバムなんです。そんなアルバム普通買わないでしょう。彼女と歩いているって、なんですか、それは。それで一番普通そうなアルバムを買いました。「アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン」、全部ギターだけの伴奏で損したと思いました。ロック時代のはボブ・ディランはロックに行ったからダメになったという文章も目にしてましたから、普通は買わないでしょう。
ボブ・ディランの良さがわからないのは俺が悪いんだと思いました。図書館でボブ・ディランの本を借りました。有名な『ディラン、風を歌う』です。アマゾンの解説にこう書いてあります。“ボブ・ディランの作品そのものを取り上げ、歌詞の主題、スタイル、イメージを細かく分析・評価した画期的なディラン評論集”、ボブ・ディランのことをボロカスに書いてました。韻を踏んでないと。ボブ・ディラン風に原稿を書くとこうなると、むちゃくちゃに書いてました。
どんだけ上から目線なんですか、あの頃は評論家の方が立場が上だったのです。評論家は普通にロックとかポップスは文学より下と思ってたんです。
ボブ・ディランはなんとも思ってなかったでしょうが、ボブ・ディランに影響された、いや弟子と言っていいルー・リードは「文学はSM、ゲイ、ドラッグなどを題材にしているのに、ロックはいまだに恋がどうしたとか歌っていて遅れていると」文学に対する宣戦布告をしていました。そんな時代から40年経って、ついにロック、ポップスは文学と同じくらい意味があるということを認められたのです。
現在自分をブルースマンと思い毎日ライブをしているボブ・ディラン。ここ30年くらいのボブ・ディランは一番ライブが観れるビッグ・スターだったの。絶対どこかでライブをやっているので、お金があれば、ボブ・ディランみたいなと思えば彼のホーム・ページに行って、スケジュールをチェックすれば、今日はイタリアか、明日はドイツかと絶対にライブを見ることができたのです。
今月も11月23日までライブがびっしりです。でもね、それ以降のライブの予定は発表していないんです。ここ10年くらいボブ・ディランは12月にライブをしたのは2014年のベーコン・シアター5日間だけですが(12月10日はもちろんやってません、この時期がボブ・ディランがノーベル文学賞を取るかもと一番盛り上がっていた頃なので、この予定の取り方はノーベル賞受賞パーティーみたいな感じにしたかったと思われます。12月から翌年の3月半ばくらいまではオフとレコーディングに当てています。ノーベル賞の人からの電話に出なかったと言われてますけど、一応ノーベル受賞式の日12月10日はスケジュール空けています。
これがボブ・ディランです。こんなボブ・ディランですが、ボブ・ディランがどれだけ本当に偉大かというのはこちらを読んでください。
→ボブ・ディラン「ミスター・タンブリン・マン」 -なぜ偉大なのかといえば、ディランは音楽と文学を一番最初に繋げた人物なのです
→サム・クック「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」とボブ・ディラン「風に吹かれて」 ・・・色々な解釈が出来る歌と言われていますが、海外では誰もそんなこと言わない