久保憲司のロック・エンサイクロペディア

【世界のロック記憶遺産100】 ボブ・ディラン 『激しい雨』 ・・・ボブ・ディランは1970年代のNYのストリートで起こったロックの新しい変化を取り入れようとしていた (久保憲司)

激しい雨(紙ジャケット仕様)

ボブ・ディランすごいですね。ノーベル賞取るだけでこんなに盛り上がるとはびっくりです。TVなどでファンの人たちの「ボブ・ディランの生き方に影響されました」という発言を聞くたびに、あんなむちゃくちゃな人の生き方に影響されていたら大変なことになるぞと思ってました。ただのスケベなオッサンですよね。

ボブ・ディランがそんな人だから桑田さんのライブとかを見てるといつも僕の周りの人は「うわっー、あのバック・ダンサーの姉ちゃん、エロいな、桑田さんにやられているんだろうな」と言ってきます。僕はライブ中ですし、反論するのも面倒くさいから、「そうだね」と相槌打ちますが、あのね、みんなボブ・ディランみたいにそんなにスケベじゃない、そんなに暇じゃないです。

Best of the Black President (Dig) 昔、フェラ・クティのマネジャーに「フェラは奥さんが23人もいて、大変だね。音楽はいつ作っているの?」と聞いたら「レイター」と言ってました。音楽は2の次という意味なのかなと思って、二人で爆笑しました。フェラは奥さんに浮気されないように、フェラと奥さんチームとバンド・メンバーはホテルを別々にしてましたが、浮気されてました。いやー大変だなと思います。

そういう皆さんの生活を見ながら僕は絶対、影響されないぞと思ってました。そんな生活したら死んでまう。みうらじゅんさんはそういうボブ・ディランの大変なとこまでマネされていて、本当の信望者だなと思います。

ボブ・ディラン自伝でもボブ・ディラン自身本当に人格破綻者かどうかわからないですよね。ボブ・ディランの自伝も自分が何者か嘘をつくところから始まっています。初めての自分のプレス用に、自分はどういう人か告白するところで第1章が終わるんですけど、身内にまで自分はロバート・ツィンマーマンじゃなく、ボブ・ディランだよと言っているのが洒落てるなと思います。

その第1章の出だしは契約する時に、ハリー・ベラフォンテのショーに連れて行ってもらうところから始まっていて、自分の目指していたのはコーヒー・バーなどのフォーク・シーンじゃなく、アメリカのちゃんとしたエンターティメントの世界なんだよというのを明確にしているのもさすがだなと思いました。ハリー・ベラフォンテのようなアメリカを代表する国民的歌手のモノマネもうまいと言っていて、自分がどこから来て、どこに行こうとしていたのかもちゃんと告白してます。

みんなボブ・ディランを簡単に歌が下手と言いますけど、そんなことないです。ちゃんとハリー・ベラフォンテなんかのモノマネが出来る人なんです。

ネットを見ると“フォークの神様ボブ・ディランのメジャー初レコーディングは商業主義なハリー・ベラフォンテでハーモニカを吹いたことが衝撃”とか書いてますけど、ハリー・ベラフォンテはアメリカ・ショウビズの王道ですけど、公民権運動では一番先頭を行っていた人で、すごい社会活動家、そういう流れがあるから、USAアフリカの時も提唱者となったわけです。

ボブ・ディランのルーツ=ウッディ・ガスリー、「アンソロジー・オブ・アメリカン・フォーク・ミュージック」、ミシシッピ・ジョン・ハート、ロスコー・ホーカムなどいろいろ言われていますが(一番似ているのはミシシッピ・ジョン・ハートかなと思いますが)、「アンソロジー・オブ・アメリカン・フォーク・ミュージック」を友達の家からパクって、一ヶ月音沙汰がなくって、久しぶりに出てきたらボブ・ディランになっていたとか言われてますけど、クロスロードで悪魔に出会って、ミュージシャンになったとかそんな話ないですから。みんないろんなことを吸収しながら大きくなっていくのです。

そんな中で僕が一番大好きなボブ・ディランの時期といえばパンクを吸収しようとしていた時です。

Hard Rain ボブ・ディラン早いですよ。テレヴィジョンやパティ・スミスが出てきた時に誰よりも早く敏感に気づいてそれを取り入れようとしていたんです。ピストルズと同じくらいの時期にパンクやろうとしていたんです。かっこいいですよ。その頃の時期が『欲望』ライブ盤の『激しい雨』です。『激しい雨』はボブ・ディランの曲が全部ハードなロックになっているんです。子供の頃はこの頃のボブ・ディランは白塗りしているし、ギターにデヴィッド・ボウイのギターだったミック・ロンソンを入れているからグラムをやりたいのかなと思っていたんですけど、この辺の時期のボブ・ディランはNYのストリートで起こったロックの新しい変化を取り入れようとしていたんですね。

離婚のショック、アメリカのカウンター・カルチャーの終焉ということで、もう一度自分たちの本当の姿を取り戻そうということで、メディスン・ショーのスタイルでアメリカを巡業しよう、メディスン・ショーみたいに、現地についてから会場を探して、ビラを配って、告知をして、ライブをしようとするスタイル、これって、のちにパンクがやっていくことですよね。それをビッグ・スターになっていたボブ・ディランがやろうとしたのです。メディション・ショーのスタイルだったローリング・サンダー・レビューはパティ・スミスのライブを見た時に浮かんだそうです。パティ・スミス=パンクにアメリカン・ミュージックの原野を見たんでしょう。

 

 

続きを読む

(残り 1207文字/全文: 3349文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ