久保憲司のロック・エンサイクロペディア

【世界のロック記憶遺産100】グレイトフル・デッド『デッド・セット』 ・・・その電車の終着駅はないとみんな知っていたけど、乗るしかなかった (久保憲司)

 

前回の「世界のロック記憶遺産100・ニール・ヤング『アフター・ゴールド・ラッシュ』」で、なぜニール・ヤングがパンク、ポスト・パンク世代にも愛されるか解説しました。今回は歴史に残る偉大なるサイケデリック・バンド、グレイトフル・デッドを今僕たちはどう評価したらいいか、についてです。

僕はグレイトフル・デッドみたいなクソ・ヒッピー・バンドは大嫌いでした。

アシッドやって、手をひらひらさせて、ダサいダンスを踊って、そんな奴らがフェスなんかでニコニコしながら横に来て、「やっぱり地場が大事だよね」とかスピッたことを言い出すとキモいから死ねと思ってました。

でも、あの熊さんとか、稲妻のマーク、ドクロはかっこいいな、いつも従順そうな髪の長いお姉さんが横にいて、乱行パーティーとかやっているのかな、うらやましいなと思ってました。

デッド・ヘッドの人に「ジェリー・ガルシアのギターがいいんだよ、彼のギターを聴いているといつでも天国に行けるんだよ」(でた、また天にも昇るだ)と言われても、「いやー、僕、デッド全くダメなんですよ。ジェリー・ガルシアのギターってフニャ、フニャしているようにしか思えないんですよ」と本心ではトンでいるだけだろと思いながらも、そう答えてました。

僕は人生に知らないことがあるというのが嫌なタイプなので、80年代のデッドのライブに行っていたらよかったな、そうしたら「一度だけデッドのコンサート行きましたよ」と言い返せたのに。そして、あの上半身だけで踊っているネェちゃんとやれたのに。

なぜデッドのコンサートに行かなかったかというと、だってバカぽいでしょう。67年に流行ったことを84年とかにやっているなんて、化石じゃんと思ってました。しかもデッド・ヘッドと呼ばれる人たちはデッドを追いかけて一年中ツアーをしているんです。完全にヒッピーです。世を捨てた人たちです。そんな人たちと喋ることなんかないでしょう。

ある日気づいたわけです。あの人たちは67年にあったものを70年代、80年代にもう一度再現しよう、67年のスピリッツがある場所を作ろうとしていたんだと。

ライブだけじゃなく遊園地からスピーカーズ・コーナー、キャバレーなどいろんなテントが広い敷地の中に広がり、10万人近くのお客さんが三日間楽しむ姿はイギリスの中に新しい国、楽園が出来ているようです。

でもそれを作るのは難しい。いい例が80年代後半にジェーンズ・アディクションのペリー・ファレルがグラストンべリー・フェスティバルに行って、感動して、スタッフに「なんじゃこれ、なんでこんな素晴らしいことが出来るんだ?」ときいたら「もともと君の国にあったもんだよ。それをずっとやっているだけだよ」と言われて、びっくりして、ローラパルーザを始めるわけですが、ペリー・ファレルの思惑と違い商業主義に流れていってしまいましたが。

ウッドストックも一緒で、ウッドストック94、ウッドストック99と何回かウッドストックを蘇らせようと企画するがいつも暴動など悲惨な状況が起こりグラストンべリーみたいに定着させることが出来ませんでした。これがイギリスとアメリカの違いです。そん中でうまく成功していたのがグレイトフル・デッドのツアーなのです。グレイトフル・デッドのツアーもジェリー・ガルシアがなくなった途端やはり継続しなくなっていきました。スピリチュアルなことは書きたくないのですが、導師がなくなったとたん崩壊してしまうのです。

今思うとグレイトフル・デッドのツアーはのちにイギリスで生まれるレイブを違った形で先にやっていたのです。日本にフジロックがあるみたいに、僕たちはいつも67年みたいなことをしたいんです。先祖大体からあるお祭りとともに僕たちは僕たちのお祭りを必要としているのです。今の日本のハロウィン・パーティーもそう、官邸前も、世界中のEDMのパーティーもそうでしょう。

グレイトフル・デッドのツアーは体験しておくべきだったなと、僕はロンドンのジャー・シャカのサウンド・システムにいる時に思っていた。ジャー・シャカなどのロンドンのサウンド・システムは録音し放題で、来たお客さんはカセット(当時)に録音して、それを持ち帰って聞いていたのですが、グレイトフル・デッドのコンサートと一緒だなと思ってました。

フイッシュのコンサートを見ていた時、その音の小ささにびっくりした。これはアシッドやマリファナでトンでいる時のためようなんだと感じてニヤッとした。トンでいたら、そんなに大きな音は入らない。それよりも綺麗な音で、いろんな音がしっかりと聴こえるほうが気持ちいいのです。こんなことが混じり合って僕はグレイトフル・デッドのコンサートの意味がだんだんと分かってきたのです。そうしたらジェリー・ガルシアのリード・ギターをうまく補佐するボブ・ウェアーの巧みなコード・チェンジ、その二人の繊細な駆け引きが気持ち良くなってきたのです。そして、これって、ソニック・ユースやマイ・ブラッディ・ヴァレンタインにむちゃくちゃ影響を与えていると気づいた。

僕はグレイトフル・デッドが好きになった。

しかし、ジェリー・ガルシアがヘロイン中毒だったというのはショックだった。ラブ&ピースのシンボルのような親父がドラッグ問題を抱えていたのはASKAよりも大問題です。やっぱり神様はいないんだなと落ち込みました。あのいつも微笑んでいたジェリー・ガルシアがなぜドラッグから抜け出せなかったか、それはヒッピーの親玉みたいな存在に祭り上げられることからのストレスだったそうです。「ヘロインは大きな問題をこんな小さな問題に変えてくれるんだ」と答えるジェリー・ガルシアにとってヘロインだけが安らぎを与えてくれていたのでしょう。

 

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tags: Grateful Dead

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