久保憲司のロック・エンサイクロペディア

エコー&ザ・バニーメン 『キリング・ムーン』 ・・・ポストパンクで一番美しい曲 (久保憲司)

 

あのイアン・マカロックがアメリカと北朝鮮が戦争しかけているという緊張感に耐えきれずに、ビビって日本から脱出した。イアンらしいといえばイアンらしくって笑ってしまうのだが、サポート・メンバー一人残して、マネジャーとイアンだけが逃げ帰ったというのはやっぱり笑ってしまう。どんだけパニックってるねん。

僕もちょっと前は「このまま戦争というものとは無縁に死んでいくのかと思ってたけど、人生甘くないな、人間一生のうちに一度は戦争というものを経験してしまわないといけないのか」となんとなく思っていた。

なんとなくって、失礼な言い方だけど。世界が大変なのに。

アジアの情勢でいうならば、北朝鮮が大陸弾道ミサイルを完成した時点で、シリアに空爆をしたようにアメリカは北朝鮮の大陸弾道ミサイルを全部攻撃するだろう。北朝鮮はそんなことしたら、「ソウルを火の海にしてやる」「日本にあるアメリカの基地を全部ぶっ壊してやる」と言っている。でも、そんなことしたら、完全に北朝鮮は終わる。そんなことを北朝鮮がするだろうか?やらないと思う。多分、基地を攻撃されても「ぶっ殺す」というだけで何もしないと思う。もっというならアメリカはソウルが火の海になる可能性のある軍事行動をするだろうか?まだ本国が攻撃もされていないのに、やらないと思う。またもう一つ核保有国が増えるだけだけだ。そして、また何十年間北朝鮮の体制が崩壊してくれと願うだけである。

何万人、何十万人もの人が死ぬようなことに誰もスイッチを押すようなことはしないと思う。

あんたやる? やらないと思う。傍観するだけだと思う。

イアンが逃げ帰ったのは多分70年代、80年代のヨーロッパのことを思い出したからだ。またか、勘弁してくれと。あの頃のヨーロッパはアメリカとソ連の核戦争の戦場になろうとしていた。アメリカとソ連の核爆弾によっていつ崩壊してもおかしくもない状況だった。

イアン・マカロックがいたエコー&ザ・バニーメンはそんな時代の世界一かっこいいバンドだった。ジョイ・ディヴィジョンとエコー&ザ・バニーメンが世界を制覇するバンドだった。U2になるのは本当はジョイ・ディヴィジョンかエコー&ザ・バニーメンだった。本当いうとジョイ・ディヴィジョンかティアドロップ・エクスプローズが今のU2みたいな位置にいるはずだった。マンチェスター対リバプールで、その勝者が世界1のバンドになる予定だったのだ。ティアドロップ・エクスプローズは解散してしまったので、ティアドロップ・エクスプローズの次につけていたエコー&ザ・バニーメンがジョイ・ディヴィジョンの対抗バンドとなったのだ。U2なんてこんなすごいバンドの前座、美容師カットをしたヴォーカルなんてダサすぎると言われていたのである。アイリッシュ差別をしてしまうが、アイリッシュのバンドなんかダサすぎるねん、U2なんてエコバニのやっていることのマネしているだけやんと言われていたのである。

ティアドロップ・エクスプローズとエコー&ザ・バニーメンが一緒にツアーしていたことがあるなんて想像も出来ないでしょう。当時のニュー・ウェイヴ少女たちにとったらティアドロップ・エクスプローズのフロントマン、ジュリアン・コープとエコー&ザ・バニーメンのイアン・マカロックが同じステージに立っていたと思うだけで、失神してしまうでしょう。元々同じバンドにいたんですけどね。

僕みたいなパンクにとってはびっくりだったのですが、あの頃の少女漫画にイアン・マカロックがロジャー・ダルトリー、ロバート・プラントの代わりに登場していたのです。パンクというのはそういうのを全否定していたはずなのに、いつの時代も最終的には一緒ですね。イアンは金髪じゃないのに、黒髪なのに、でもフレディ・マーキュリーも黒髪だったよな。でもイアンはロバート・プラントみたいに「俺は金髪の神様」だみたいなことは言わない。アンニュイで悩んでいる。そうこれが良かったのです。80年からはアンニュイが受ける時代になったのです。

 

 

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tags: David Bowie Echo & the Bunnymen Joy Division The Teardrop Explodes U2

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