SIGMACLUBweb

楽山孝志さんインタビュー掲載/SIGMACLUB9月号、8月12日発売

サンフレッチェ広島で2008年〜2009年まで活躍。その後、ロシアや中国でプレーし、引退後は中国でサッカースクールを開設。今や400名を超える子どもたちを教えるまでに事業を拡大している楽山孝志さんのインタビューです。一部、ご紹介いたします。

————————————————————————————

尖閣諸島(中国名/釣魚島)の問題がクローズアップされていた時期は、怖かった。タクシーに乗っても「降りろ」と言われるし、日系の店が壊されたり…。その時期のアウェイゲームでは、クラブの副社長からは「危ないから行くな」と言われていたんです。後で聞くと、僕がそこに行くだけで、2000人の軍隊を派遣しなければいけないとか。実際、黒い服を着た軍隊がスタジアムを取り囲んでいましたからね。

ただ、一度親しくなると、中国の人達は本当に親切で助けてくれる。その感覚は、日本人よりも強いかもしれない。1年目の途中から中国語を学び始めて、拙いながらも中国のウェイボー(Weibo)というサイトで投稿を始めたんです。そうすると「馬鹿野郎」から「楽山馬鹿野郎」に変わっていった。名前を憶えてくれた時はとても嬉しかった。
(中略)

言葉がしゃべれるようになると、周りが変わってくる。異国の友だちもたくさんできた。困ったことがあれば、親身になって相談にものってくれるし助けてくれる。中国は日本人に対して偏見があったのかもしれないけれど、僕も中国人に対する偏見があったのかもしれない。現地で暮らしてみないとわからないことは、たくさんありますね。

 

————————————————————————————

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ