「スタンド・バイ・グリーン」海江田哲朗

【無料記事】【SBGニュース】船山祐二、現役引退を語る(2016/11/26)

今季限りで現役を退くことになった船山祐二。

今季限りで現役を退くことになった船山祐二。

■両ひざのけがと戦い続けた日々

11月21日、船山祐二はクラブを通じて現役引退を発表。25日、クラブハウスを訪れた船山が、メディアの囲み取材に応じた。

――シーズン後半、コンディションの調整でかなり苦心しているように見えました。
「ひざの状態は常に悪かったです。10年前に左ひざを痛め、その扱いには慣れていたんですが、今年の夏に右ひざも痛めてしまった。監督やトレーナーと相談しつつ、一度休んでいいという話もいただいたんですけど、どうしてもやり切りたい気持ちが強くて。多少、ごまかしながらでも、どうにかパフォーマンスを上げたい。最後はその一心でしたね」

――最終節に向けてのトレーニングには、姿がありませんでした。
「その時期は階段の昇り降りもきつかった。早めに手術を受けさせてもらえることになって、両ひざをいっぺんに手術しました。手術をしたのは17日かな。最終節の岐阜戦は病室で観ましたよ。勝ってほしかった」

――引退を決めたのは?
「(J2第37節の)札幌戦のあたりです。毎日、家でもアイシングで、けがと付き合うのが疲れたというのもあり、手術をしたとして完治するとは限らないと聞いていました。この繰り返しでは先には進めないし、どこかで見極めるタイミングが必要なんだろうなと。鹿島で始まり、ヴェルディで終わる。それも悪くないと思えます。Jリーグが始まったときの二強でプレーできたことは自分の財産」

――引退に至る過程で、自身のプレーに違和感を覚えたることは?
「自分の描いているプレーと食い違うことがあって、たとえば、パスがちょっとズレる、転がしたつもりが浮いてしまう、といった細かいことなんですが、納得できない思いはありました。思い描いたプレーができなくなって潔く辞めるか、ボロボロになるまで続けるか、どちらも正解というのが僕の考え。自分の場合は、ミスを人のせいにしたり、若手に尻ぬぐいをさせるのは受け入れられなかった」

――プロ生活を振り返り、最も印象深いゲームは?
「プロ1年目、2007年の(J1第32節)柏レイソル戦。自分がゴール決めて勝った試合ですね。ここを落とせば優勝争いから脱落しかねない重要なゲームだったんです。それをものにできたことでも印象に残っています」

――今季、J2第24節の清水エスパルス戦のパフォーマンスもすばらしかったですよ。1‐0の勝利に、船山選手は多大な貢献をしました。
「手応えのあったゲームは何試合かあって、自分のなかでは(J2第33節の)千葉戦かな。弟の貴之とやり合い、どうにか抑えることができて、充実感を得られました」

――ご家族に引退の話をしたときは?
「家族が一番のサポーター。息子も一緒に泣いてくれて、今度はおれが応援する番だから、これからがんばろうなと話しました」

――セカンドキャリアについて、何かプランは浮かんでいますか?
「僕は成田で育ったので、地元でサッカーに携わることができれば。貴之ともそんな話をしています。まあ、2、3ヵ月はゆっくりしますよ。本格的に動くのはそれからですね」

◎船山祐二(ふなやま・ゆうじ)
1985年、千葉県生まれ。柏レイソルJY‐習志野高‐流経大柏高‐流経大‐鹿島アントラーズ‐セレッソ大阪‐モンテディオ山形‐アビスパ福岡‐アーミー・ユナイテッド(タイ)‐エアフォース・セントラル(タイ)‐東京ヴェルディ。正確なロングパスを武器とするレフティ。東京Vでは、粘り強い守備でもチームに貢献した。

自分がメンバーを外れるとき、代わりに出る若手に「おい、しっかりやれよ。がんばれ」と声をかけていたのが印象的だった。

自分がメンバーを外れるとき、代わりに出る若手に「おい、しっかりやれよ。がんばれ」と声をかけていたのが印象的だった。

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