「スタンド・バイ・グリーン」海江田哲朗

【無料記事】【インタビュー】A Secret on the Pitch ピッチは知っている〈3〉 柳沢将之(東京ヴェルディ1969フットボールクラブ株式会社 普及部) 後編(17.8.1)

A Secret on the Pitch ピッチは知っている 〈3〉
『走り続ける人』柳沢将之(東京ヴェルディ1969フットボールクラブ株式会社 普及部) 後編

※前編はこちら

■思い出深い2本のロングシュート

――正式に、東京ヴェルディのスタッフとして働くことが決まったのは?
「今年の1月です。これまで何度かお話をいただいて、今回ようやくタイミングが合いました」

――始めから普及部のスタッフという話だったんですか?
「いえ、最初は特に何も決まってなかったですね」

――仕事の内容は?
「スクールのコーチのシフトやイベント参加の調整。人がいないときは自分も加わります」

――一週間のおおまかなスケジュールを教えてください。
「月曜は休みのことが多く、火曜から金曜はクラブハウスの受付にいます。金曜は南豊ヶ丘フィールドのスクールにも行きますね。ちょっといま人が足りなくて。週末、ホームゲームのときは試合会場です」

――いずれは指導者としての仕事も考えているんですか?
「現在僕が持っているのはC級ライセンス。時間をつくれれば、B級、A級も取得したい考えはありますね。どんなことになっても対応できるように、準備だけはしておこうと」

――そうだ、現役時代の思い出も聞かせてください。一番衝撃を受けたプレーヤーは?
「エジムンド。これはもうダントツです。走ったらボールが出てくるし、点を取ってくれとボールを渡したら取ってくれる。パスがちょっとでもずれたら、受けようとしない。ここに出せやと怒ってました。練習の態度も印象的でしたね。めっちゃきつい筋トレを淡々と涼しい顔でこなすんです。遊び人と聞いていたんですが、全然そんなことはなくて試合前は早く家に帰ってしっかり休養をとる。何から何まですごい選手でした」

――最も印象に残るゲームは?
「やはり、天皇杯優勝かな」

――2005年、元日。国立競技場でのジュビロ磐田戦、2‐1の勝利。
「最後の5分は長かった。アディショナルタイムをあんなに長く感じたのは初めてでした」

――柳沢さんといえば、シーズンに一発飛び出るロングシュートのゴールもファンの間で有名でした。
「2点決めてますね。02年、柏レイソル戦の初ゴール。03年、セレッソ大阪戦のゴール。両方ともかなり距離のあったシュートで、よく憶えています。あのセレッソ戦はオジー(オズワルド・アルディレス監督。03年6月から05年7月まで東京Vを率いた)が監督に就任し、初めてのリーグ戦だったんです。僕は前の試合でふくらはぎを蹴られて、かなり腫れてしまったんですが、オジーの話し方から信頼されているのを感じて、これはやるしかないぞと」

――痛めた足で決めたゴールだったんですか?
「無理を押して出て、期待に応えて決められたゴールだったので余計にうれしかったですよ。オジーやセレッソのときに監督だったレヴィー・クルピ監督は、ここ(ハート)のコントロールが巧い。いまのロティーナ監督も似た雰囲気を感じますね」

――逆に、思い出したくない試合は?
「そりゃ決まってるでしょう。J2降格が決まった試合。05年の柏戦。前半を1‐2で折り返し、後半トントンと入れられて終わってみれば1‐5」※ちなみに当時の柏のメンバーには永田充がおり、5点目のゴールを決めている。

――いまでも、ときどき思いますよ。05シーズンは優勝争いのダークホースと目されながら、なんであんなことになってしまったのか。
「なんだったんですかねえ。マンネリ化した部分はあったと感じますが」

――チームが崩壊し、バカスカ失点した夏場の連戦「HOT6」のトラウマはいまだに消えず。もう10年以上も経つのに。
「あの時期、僕はけがをしていてやってないんです。アキレス腱の部分断裂。リハビリの間にオジーが解任されてしまったのは心残りでした」

――そうでしたか。すっかり失念しておきながら言うのもなんですが、つなぎ役になれる柳沢さんの不在は大きかったのでは。チーム内でもめ事があったとき、真っ先に止めるタイプでしたよね。
「そうですね。周りからイジられながらも止めるタイプ」

――おまえがいてくれればと言われたり。
「それはなかったな」

――この5年間、昔のチームメイトと集まることは?
「ないですね。OB戦で呼んでもらえる以外、サッカー関係の人とはほとんど会っていません」

――サッカーとの接触を意識的に避けていましたか?
「多少、その気持ちはありました。忙しかったのもあるし」

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