宇都宮徹壱ウェブマガジン

【無料記事】「終の棲家」としてのウェブマガジン 宇都宮徹壱WMオープンにあたって思うこと

 2016年の折り返しとなった7月1日、タグマ!にて展開していた『徹マガ』が、『宇都宮徹壱ウェブマガジン(WM)』として新たなスタートを切ることになった。その最初のコンテンツとなる本稿では、このWMというメディアの特性と、そこに私自身が何を求めているかについて記すことにしたい。

 その前に、前日の6月30日に新宿のネイキッド・ロフトで開催されたイベント、『徹マガ』&『WM』読者感謝祭について、言及しておく。当日のイベントにご参加いただいた皆さん、そして第1部のトークイベントをネットで視聴されていた皆さん、ありがとうございました。上半期の最終日ということで、当日はどうしても都合がつかなかった方々も少なくなかったようだ。それでも多くの方々に温かく送り出していただいたことで、『徹マガ』は最高の形でメディアとしての役割を終えることができた。6年間、伴走し続けてきた身としては、ただただ感謝の気持ちでいっぱいである。

 イベント終了から8時間後、私は新青森に向かう新幹線の中で、この原稿を書いている。もっとも、出発の直前に新幹線の予約をしたところ、すでに全席が埋まっており、仕方なく乗車ドア付近に撮影用の椅子を置いてPCを広げている(傍から見れば、かなり怪しい人間に見えただろう)。今日から5日間で、弘前、青森、陸前高田、八戸を取材で回る強行軍だが、実は心情的にはかなり楽である。なぜなら昨日をもって、メルマガ配信のすべてのタスクから解放されたからだ。

 これまでのタスクは、だいたいこんな感じだ。インタビューの企画を立て、アテンドし、取材してから文字起こしに回し、テキスト化されたものを記事にまとめる。その一方で連載陣にコラムを発注し、自らも巻頭コラムを書き、それらをHTML化の作業に回すことで、1巻2万字のメルマガが完成する。これらの作業が毎月4回。最も苦労するのが、それぞれのコンテンツをまとめあげて「マガジン」の体裁にもっていく作業である。

 これがWMの場合だとどうなるか? たとえば、今書いている原稿をその日のうちにアップ。明日、行われるJFLのゲーム(ラインメール青森対ヴァンラーレ八戸)のレポートを、次の移動先に向かう途中で書き終えてアップ。週明けの月曜日に1週間分の日記をアップ。そして火曜日に準備しておいたインタビュー記事をアップ──という感じで、いちいちマガジン化することを気にせず、どんどんアウトプットできるのである。そして最終的に、毎月トータルで8万字くらいのコンテンツをアップしていけば、(少なくともボリューム的には)メルマガ時代と変わらぬサービスを提供することになる。

 以上が書き手側のメリットであるが、当然ながら受け手側にもメリットはある。まず、タイムリーなコンテンツがコンスタントに得られること(メルマガだとコンテンツを貯めてから配信するため、どうしてもタイムラグが発生する)。また、WMは「クラウド上に置かれたマガジン」なので、過去の記事やコンテンツにすぐにアクセスできるのも魅力だ(メルマガだといちいちメールボックスから探さなければならなかった)。確かに「毎週、自動的に届くメールマガジンのほうが楽」という意見もあるだろう。ただしメルマガには「不着」のリスクが常につきまとっていた。

 つまり私が発信する情報に対して、受け手である読者が能動的にアクセスすることに慣れてしまえば、むしろメルマガ時代には考えられなかった利便性を体感することが、WMでは可能となるのである。加えて言えば、「いつ更新されたかわからない」という課題についても、先ごろタグマ!に実装された『更新通知機能』によって見事に解消された。ゆえに、今後の個人メディアのサービスのあり方を考えたとき、WMがメルマガよりも劣っている面は「もはや見当たらない」というのが、私の見解であり実感である。

 では、この新たな個人メディアに、宇都宮個人は何を期待しているのか。誤解を恐れずに断言しよう。宇都宮徹壱WMは、書き手である私にとっての「終の棲家」となり得る場所である。

 先のコラムで、昨年に紙媒体での連載をすべて失ったことを書いた。自分自身の力不足もさることながら、紙媒体の衰退による影響も決して小さくはなかったと思っている。いずれにせよ、書き手としては非常に死活的な状況であることは間違いない。それでも、今のところは『スポーツナビ』や『フットボール批評』といった媒体に発表の場を定期的にいただいているわけだが、10年後も同じ状況が続いている保証はない。自分ではいくら精進しているつもりでも、齢を重ねるたびに書き手としての市場価値が下がっていくことは不可避であろう(スポーツというジャンルであればなおさらだ)。

 やがて、ほとんどのメディアで「宇都宮徹壱」の名前を見かけなくなる時が、きっと来るはずだ。そうなった時に最後の砦となるが、この宇都宮徹壱WMという個人メディアである。だから、ここが私にとっての「終の棲家」。そして、この「終の棲家」さえも、いよいよ維持できなくなったならば──書き手としての私のキャリアは、そこで終わり、ということになる。

 それくらいの覚悟と緊張感をもって、私はこの宇都宮徹壱WMを立ち上げた。当メディアは、WMの利便性をフルに活かして、自分の好きなこと、関心のあること、面白がれることを徹底的に追求するつもりだ。しかし同時に、ここは書き手である私にとっての最後の砦であり、かつ「終の棲家」である。そして言うまでもなく、当メディアは会員の皆さんからの月々の購読料によって成り立っている。どうか、より多くの方に会員になっていただけるよう、切にお願い申し上げる次第だ。

<この稿、了>

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