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「もうゴール裏に自分の居場所はなくなりましたね」 清義明(『サッカーと愛国』著者)インタビュー<4/4>

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■岡田武史への複雑な想い

──ところでサポティスタといえば、最近はアイドル方面でご活躍中の岡田康宏さんのサイトという認識が一般的だと思うんですが、もともとはハマムラシンヤさんという伝説的な人物が、スタジアムで配っていたアジビラがルーツなんですよね

 サポティスタを作ったのはハマムラさんですけど、正確にいうとサポティスタという「運動」をオーガナイズしたのが浜村さんというのが正しい。ジーコ解任デモ(04年)や、「川淵会長にレッドカードを!」デモ(06年)も、そうした運動の一環。岡田さんは、メディアとしてのサポティスタを作った人ですよね。

──そのハマムラさんに対する清さんの認識は、どういったものでした?

 ハマムラさんは基本的に左翼なんだけど、高円寺の『素人の乱』とか、早稲田の『だめ連』とか、90年代に出てきたおもしろ左翼の流れなんですね。つまり、どうでもいいネタでデモをやったりするノリみたいなものに、浜村さんはかなり影響を受けていて、それをサッカー界に持ち込んだのが一連のデモだったわけですよ。

──なるほど、そういう背景があったんですね! それにしてもジーコ解任デモの時は、鹿島サポーターの怒りをかなり買っていたようですが。

清 僕も逆の立場なら怒っているからね、間違いなく。実際、僕も当時はネットでかなり脅迫されたし、アウエーで鹿島に行ったときは警備員2名が万一に備えて僕の護衛についていましたから(笑)。

──その後、歴史は巡ると言いますか、2010年に岡田(武史)解任デモの話が持ち上がりましたが、さほど話題にもならずに収束していきました。あれは清さん徹底的に潰したんでしょうか(笑)?

清 というか、あれは運動自体が盛り上がらなかったし、そもそもサッカー関係の人間が動いていたわけでもないですから。本にも書きましたけど、あれはネット右翼やレイシズム団体の連中が自分の名前を知らしめる売名のためにやっていたんですよね。それにいくらネットで盛り上がっても、きちんと段取りができる事務方と実働部隊がいないと物事が進まない。そういう類の失敗の典型例だったと思っています。

──いずれにせよ、あの時は清さんが徹頭徹尾、岡田さんを擁護していたのが印象的でした。ご自身では、岡田武史という人物をどう捉えていますか?

 岡田さんは素晴らしい監督だと思うけど、最近ちょっと考え方が変わってきて。

──といいますと?

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