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霞が関も注目? 水戸ホーリーホックの成長戦略を探る 黄川田賢司(水戸ホーリーホック国際事業企画マネージャー)インタビュー<1/2>

 日本代表の取材で、6年ぶりにタイの首都・バンコクを訪れている。少しご無沙汰しているだけで、ASEAN諸国の都市部の風景はどんどん変容している。そのエネルギッシュな変化の度合いには、ただただ驚かされるばかり。わが国のさまざまな業界が、この地域の成長ぶりを注視するようになって久しいが、それはサッカー界もまた同様である。

 今回はJ2水戸ホーリーホックのアジア戦略および成長戦略についてフォーカスする。7月31日、ケーズデンキスタジアム水戸で行われた対ツエーゲン金沢戦に、およそ70人ものベトナムからのツアー客が訪れた。彼らのお目当ては、今季水戸に加入した「ベトナムのメッシ」ことグエン・コンフォン。ツアーの模様と狙いについてはこちらのコラムに書いた。

 水戸のコンフォン獲得に関しては、茨城県ベトナムとの農業分野での関係性強化やインバウンドが大きく関係している。県はクラブに対して「ベトナムの選手を獲得する意思はないか」と打診。しかし、水戸にはそのようなコネクションがない。そこで、かねてよりアジア戦略を推進させていたJリーグ国際部を通じてコンフォンがリストアップされ、このたびの加入となった。

 Jリーグのアジア戦略がスタートして4年。最近ではクラブレベルでも、独自のアジア戦略を打ち出すようになった。そんな中、予算の限られたJ2クラブの中で、最近の水戸は実に積極的だ。ベトナムのスター選手を獲得したり、ユニフォームの背中にベトナム航空のロゴが入ったり、そしてチャーター機を使ってベトナムからのツアーを企画したり。「いったい水戸に何があったの?」と訝る向きも少なくないのではないか。

 この水戸の一連のプロジェクトで重要な役割を果たしているのが、今回ご登場いただく黄川田賢司さんである。黄川田さんは、かつてコンサドーレ札幌や川崎フロンターレでプレー。昨年、スポーツクラブの経営人材育成プログラムJHC(J.LEAGUE HUMAN CAPITAL)を受講し、今年の春から水戸の国際事業企画マネージャーとなった。アジア戦略を含む水戸の成長戦略は、今ではJリーグのみならず、地方創生や地域活性の面から霞が関でも注目されつつあるという。

 果たして、水戸で今、何が起っているのか。そしてグエン・コンフォンの獲得はクラブに何をもたらし、今後どのようなビジネス展開が考えられるのか。さっそく黄川田さんにお話を伺うことにしよう。(取材日:2016年8月2日@東京)

■ミッションは「グエン・コンフォンを活用したマーケティング」

――今日はよろしくお願いします。本題に入る前に、黄川田さんはJリーグと立命館大学がプロスポーツ界の未来を担う人材の開発に取り組むプロジェクトとして立ち上げたJHCを受講されました。そこから水戸の業務に関わるようになったきっかけを教えていただけますでしょうか。

黄川田 きっかけは、JHCを踏まえてサッカー業界、ひいてはプロスポーツ業界でそれをどうやって活かしていくか、というところでした。サッカーを活用した教育関係とか、アジアやASEANに向けた海外交流とか、そういったところをやっていきたいという希望を個人的に持っていたんです。そこでJHCで学んだことを活かす部署ということで、いろいろリサーチしていく上で今回、水戸がグエン・コンフォンを獲得して、クラブがアジア戦略を推進していくような人材を求めていたので、たまたまそういうマッチングがあったということです。

――Jリーグの国際部からアドバイスのようなものはあったのでしょうか?

黄川田 というより最初のきっかけはJHCからですね。JHC自体、Jリーグの中の部署になっているんです。今はJリーグ国際部にもアドバイスをもらいながら事業を進めています。

――いただいたお名刺には「国際事業企画マネージャー」という肩書が書かれていましたが、具体的なお仕事の内容は?

黄川田 グエン・コンフォンを活用したマーケティングというのが、水戸における僕の最大のミッションです。

――非常に明快ですね。グエン・コンフォンに特化した、専任みたいな感じですか?

黄川田 そうですね。とはいえ、彼のプロフェッショナルとしての教育いうのは(前所属の)ホアン・アイン・ザライFCがずっとやってきたので、Jリーグでやっていく上での心得や立ち居振る舞いといったところでの教育や選手としてのアドバイスなどにも配慮しながら、今は彼という存在を、いかにインバンドやアウトバウンドのビジネスにつなげていくか、というところが最大のミッションとなっています。

――水戸に赴任されたのは今年の何月ですか?

黄川田 3月ですね。

――ということは、コンフォンはチームに合流したけれど、ベトナム代表の試合で鎖骨骨折をしていて、出遅れが心配されていた頃ですね。正直、これちょっとまずいなとか思いませんでした?

黄川田 正直な話を言うと、クラブとしても彼のマーケティング戦略をどうするか、準備が整っていない状態だったんです。ですから彼のリハビリ中は、復帰後の売り出し方をどうしていくべきかを考える貴重な時間となりました。

――なるほど、つまりコンフォンが怪我で出遅れたことで、逆にじっくり考えてプランを練る時間を得ることができたということですね。ところで黄川田さんは、札幌と川崎でのプレー経験があります。水戸というクラブに対しては、どんなイメージをお持ちだったのでしょうか?

黄川田 最初やっぱりJ1ライセンスがなかったり、ずっと経営的にも厳しい状況だったりとか。あとは練習場のホーリーピッチが大雨で冠水してしまったり、大きな震災に見舞われたり、そうしたいろんな困難に直面しながら、そのたびに乗り越えてきたという印象が強かったですね。ですから自分としては、非常勤とはいえ、国際事業企画マネージャーという立場から、いかにクラブを成長させていくかというところにテーマを置きながら動いているところです。

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