宇都宮徹壱ウェブマガジン

映画『東京オリンピック』を鑑賞して考えたこと 52年前の「平和の祭典」に日本人は何を見たのか?

 今回は「東京五輪」について考えてみることにしたい。といっても4年後の2020年ではなく、今から52年前の1964年(昭和39年)の東京五輪だ。きっかけとなったのが、先月25日から今月3日まで東京・六本木で開催された第29回東京国際映画祭。そのイベントの一環として、2日に市川崑が総監督を務めた『東京オリンピック』のデジタル修復版が上映されることとなった(おそらく「東京つながり」ということなのだろう)。誘っていただいたのは、ヨコハマ・フットボール映画祭の実行委員長、福島成人さんである。

 私は今年50歳になったが、東京五輪が開催された64年当時はまだ生まれていない(ちょうど両親が結婚した年だった)。「TOKYO 64」を鮮明に記憶しているのは、齢(よわい)60以上の世代である。そして、最初に東京五輪招致を主導した人たちの多くが、そうした世代の人々であった。64年の成功体験がなければ、この日本に「再び五輪を呼ぼう」という発想はおそらく生まれなかっただろう。しかしその成功体験というものについては、50歳になる私も体験的には知らない。ならば、ということで映画『東京オリンピック』を鑑賞してみた次第である。

 まず、この映画の予備知識を簡単に。よく知られているように、この映画の総監督は当初、黒澤明にオファーをしたらしい。ところが予算で折り合いがつかず、今村昌平、新藤兼人といった名監督からも断られ、当時48歳の市川崑がメガホンをとることになった。私にとって市川といえば、『犬神家の一族』で有名になった独特のカット割りが印象的なのだが、この『東京オリンピック』でも極端なクローズアップや「そっちを撮るの?」という意表を突いたカメラワークが話題──というか問題になる(これについては後述)。

 そうした議論を抜きにしても、170分間という上演時間は、いささか冗長であるように感じた(ちなみにサッカーのシーンは、ハンガリーとチェコスロバキアによる決勝が数十秒ほど流れたのみ。もちろん女子サッカーは影も形もなかった)。とはいえ、本稿を執筆している今にして思えば、15日間の夏季オリンピアードを自国で楽しんだ余韻というのは、おおよそこのようなものではなかったのではないか、という気がしないでもない。

 それにしても52年前の映像というものは、もはや「歴史」そのものと言ってよい。五輪の開会を宣言した昭和天皇(当時63歳)はまだまだお元気だったし、皇太子ご夫妻(現在の天皇・皇后両陛下)も実に若々しい。アスリートとして参加していた選手もまた、当時20代だったとしても現在は70代から80代になっているわけで、当然ながら物故している人も少なくない。マラソンのアベベ・ビキラ(73年に41歳で死去)、柔道のアントン・ヘーシンク(2010年に76歳で死去)、そして体操女子のベラ・チャスラフスカも、今年74歳で天に召されている。

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