宇都宮徹壱ウェブマガジン

「理不尽なアスリートの死」への鈍感 シャペコエンセの航空機事故で感じた幻滅

「もしかしたら、僕もあの飛行機に搭乗していたかもしれない。そう考えると、何とも複雑な気分になりますね」

 電話口でそう語るのは、平安山良太(へんざん・りょうた)さん。彼今いるのは、日本との時差がマイナス11時間のサンパウロである。沖縄出身の彼とは2年前のワールドカップ取材で知り合った。今は名門コリンチャンスでアシスタントコーチの仕事(本人いわく「指導者の見習い」)をしている。

 平安山さんが言う「あの飛行機」とは、去る11月28日(現地時間)、コロンビア第2の都市メデジンで墜落したチャーター機のこと。ブラジルのプロフットボールクラブ、シャペコエンセの選手やスタッフを含む乗客71名が死亡し、生存者は6名と報道された。周知のとおり、この便にはかつてヴィッセル神戸を指揮したカイオ・ジュニオール監督をはじめ、ケンペス(元千葉、C大阪)、アルトゥール・マイア(元川崎)、クレーベル・サンタナ(元柏)、ウィリアン・チエゴ・ジ・ジェズス(元京都)といった、Jリーグにゆかりのある指導者や選手も数多く搭乗しており、まことに残念ながら全員の死亡が確認された。

「実は僕、シャペコエンセと同じサンタカタリーナ州にあるアヴァイFCのスタッフだったんです。その時の同僚がシャペコに移ったので『自分もそこで働けないかな』って聞いたら色良い返事をもらっていたんですね。こっちにいる間は、いろんな現場で勉強したいと思っていたんですが、そうしたらコリンチャンスからもオファーをいただいて……。元同僚は幸い、あの飛行機には乗っていなかったんですけど、共通の友人に聞いたら相当に憔悴していたそうです。無理もないですよね」

 平安山さんの話を聞いて、たまたまパスポートを忘れてしまったために搭乗できず、命拾いした選手がいたことを思い出した。人間の運命というものは、ちょっとした偶然によって大きく明暗を分けることを、あらためて思い知らされる。それはさておき、実は今回の悲報に接するまで、私はシャペコエンセというクラブを恥ずかしながら知らなかった。正式名称は『アソシアソン・シャペコエンセ・ジ・フチボウ』。1973年設立という、歴史の浅いクラブだ。ホームタウンのシャペコは、人口20万人ほどの小さな街だという。

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