宇都宮徹壱ウェブマガジン

【無料記事】英国の撮影クルーは震災直後の仙台で何を見たのか? 『Football, Take Me Home 勇者たちの戦い』ダグラス・ハーコム(監督)&ベン・ティムレット(プロデューサー)

 今月11日から17日にかけて開催されるヨコハマ・フットボール映画祭(YFFF)。その上映作品のひとつ、東日本大震災直後のベガルタ仙台を追いかけたドキュメンタリー作品『Football, Take Me Hom 勇者たちの戦い』(以下、『勇者たちの戦い』)の制作スタッフへのインタビューをお届けする。取材に応じてくれたのは、監督のダグラス・ハーコム氏とプロデューサーのベン・ティムレット氏。それぞれSkypeでお話を伺い、一本の記事にまとめたのが本稿である。

 インタビューの中にも出てくるが、この企画は震災直後に偶然、ベガルタ仙台の存在を知ったダグ監督が、プロデューサーのベン氏に企画を提案。スタッフの手弁当でスタートしている。ダグ監督は「不可能に立ち向かった、被災地の人たちの勇気への敬意というものを、世界に伝えたい」と語っているが、震災直後の仙台に赴いて現地での撮影を敢行し、素晴らしいドキュメンタリー作品に仕上げた、彼らの勇気と実行力も大いに讃えられるべきであろう。

 この素晴らしい作品を、より多くのサッカーファンに見てもらいたい。そんな思いから、今回はあえて「無料公開」とした。なお、今回の取材に関しては、アテンドしていただいたYFFF実行委員長の福島成人さん、ボランティアスタッフの加藤麟太郎さん、そして通訳の二宮夕季さんにあらためて御礼を申し上げたい。(取材日:2017年1月21日@東京)

© Bill and Ben Productions Ltd. 2016

■作品のテーマは「今、仙台で起こっていること」

——今日はよろしくお願いします。まずはおふたりの出身地と生年、そしてサポートクラブを教えていただけますでしょうか?

ダグ 出身はロンドンのパディントン。1976年生まれでサポートクラブはトッテナム。8歳の頃から応援しているけれど、最近はチケットを取るのが難しくなったね。

ベン 僕もロンドン出身で77年生まれ。応援しているのはクリスタルパレスなんだけれど、今日はその話は止めておこう(笑)。

——期待を裏切らない回答、ありがとうございます(笑)。さっそくですが、この映画を制作するきっかけについて伺いたいと思います。2011年3月11日の東日本大震災のニュースは、ヨーロッパでもかなりの時間を割いてTVでも放送されたと聞いています。報道を受けての感想と、そこからどうベガルタ仙台につながっていったのかについて、教えていただけますか?

ダグ 東北の震災については、その日の朝のニュースで知った。僕は妻が日本人で、日本各地にも友人がいたので、本当に気が気でなかったよ。

ベン 僕も東北の津波の映像には強い衝撃を受けた。ヘリコプターからの空撮で、津波から何とか逃れようと走る車の映像だった。なんというか、あまりにも現実離れした光景で、気持ちがついていけない感じだった。

ダグ その後、たまたまイプスウィッチ・タウンの試合を観戦しに行った時に「被災地のサッカーの仲間を救おう」ということで、ファンが募金活動をしていたんだ。ベガルタ仙台の存在を知ったのはその時。すぐにオンラインでクラブのことを調べて、興味を抱くようになった。

ベン それで、ダグと彼の奥さんのカオリから「仙台で撮影しよう」という話をもらって、このプロジェクトがスタートしたんだ。当然、すぐにスポンサー付くような話ではないので、最初(制作費用は)スタッフの持ち出しだったね。

——いろいろと準備もあったかと思いますが、実際に現地での撮影をスタートさせたのはいつからだったんでしょうか?

ダグ 撮影で最初に日本に行ったのは(11年の)11月。それまではベガルタの戦いをフォローしていたんだけれど、現地ですごいことが起こっているということは伝わってきた。結局、その年の現地滞在は1カ月、12年はトータルで3カ月くらいかな。クルーは5人で、僕、共同監督のジェフ、カメラマン、サウンドオペレーター、そして妻。妻は通訳とコーディネーターをやってくれた。あと、当時1歳だった娘も連れて行ったよ(笑)。

——地震や津波以上に、ヨーロッパでは福島での原発事故のことが盛んに報じられていたと思います。そういった意味での不安はありませんでしたか?

ベン もちろん、福島が大変な状況であることは知っていた。けれども今回の撮影の目的は原発ではなく、東北地方で起こっている人道上の悲劇を描くことだった。撮影そのものにリスクを感じることはなかったんだけど、撮影に協力してくれた仙台の人たちが、僕らの作品をどう受け止めてくれるかどうか。そっちのほうが心配だったよ。

ダグ 福島に関しては、もちろん意識はしていた。イギリスをはじめヨーロッパのメディアは、震災から少し経つと東北ではなく、福島に話題をフォーカスさせていたからね。けれども、この作品で原発事故のことを必要以上に言及することは避けたかった。なぜなら、この作品のテーマは「今、仙台で起こっていること」であり、「ベガルタのサポーターの物語」だったから。実際、震災直後にカメラを回したことで、仙台の人たちの頑張りや忍耐といったものについて、僕らも僕らなりに理解を深めることができたよ。

次のページ

1 2 3
« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ