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【特別寄稿】「悔しい人」──浅田真央の現役引退に寄せて Text & Illustration by 篠原美也子(シンガーソングライター)

 今週、日本が世界に誇る偉大なアスリートが、突然の現役引退を表明した。フットボールがメインの当WM。だが、やはり「浅田真央引退」について触れないわけにはいかないだろう。それもフィギュアスケートの門外漢である私ではなく、ここはやはり篠原美也子さんに書いて欲しい──引退発表を知った直後、私はそう考えてすぐにご本人に執筆のお願いをした。

篠原さんは以前、私が主催していたメルマガで『篠原美也子の月イチ雑食観戦記』を連載していただき、それをもとに2年前には『スポーツに恋して 感傷的ウォッチャーの雑食観戦記』というエッセイ集も上梓している。連載中、たびたび「真央ちゃん」についても言及していただけに、ここはぜひとも篠原さんに寄稿してほしいと思った次第だ。
ライブ直前だったにもかかわらず、篠原さんには素晴らしいエッセイを送っていただいた。謹んでここに掲載することにしたい。なお4月22日(土)には、横浜にてワンマンライブを予定しているとのこと。ご興味がある方は、こちらにアクセスしていただきたい。

 

 

  真央ちゃん、と書きかけて、はたとためらう。それ自体が固有名詞になってしまっている国民的ヒロインだから仕方ないとは言え、もうちゃん付けで呼ばれる歳でもないよねえと思いつつ、でもやっぱり真央ちゃんは真央ちゃんよねえと、庶民は呑気に失敬である。ま、卓球の福原選手だって愛ちゃんだし、それを言うなら、マー君はどうなのよって話にもなるわけで。

  花冷えの夜の電撃発表。一夜明けて、こらえきれずあふれたような雨が満開を打つのをぼんやり見ていた。

  ひらひらの衣装がうれしくてつい三回転半跳んじゃった、くらい羽根のように軽かった少女は、喜びと悲しみを幾つもくぐって26歳になった。長い手足と頭の大きさの完璧なバランス。よく言われるように、女子選手にとって体が変わっていく時期を越えることはせつない困難の連続だっただろうと思うが、直線的でむしろボーイッシュな体型を縁取る線は、年を重ねるごとに柔らかさを増し、却って女らしさを際立たせることに成功した。滑らずとも、氷の上に立っただけで10点満点。そんな気持ちで、折々見続けてきた。

  引退の報を受けてアップされた記事をあれこれ拾い読んで、「笑顔」のイメージなんだなあとあらためて思った。確かに笑顔は多かったし、決して美女ではないけれど、笑うとそこだけ日が差すような、つい釣り込まれてこちらも口角が上がってしまうような愛らしさとあたたかさに満ちていた。でも、その後ろに長く曳かれた影にも似た、泣き顔とか、唇を引き結んだ険しい表情を多く覚えている。悔しい人だった、と思う。

  浅田選手の現役生活は、最大の武器であり、最大の敵でもあったトリプルアクセルとの戦いの日々だった。結果的に競技者として最後の舞台となった去年12月の全日本、フリーの冒頭で派手にすっ転ぶまで、この人は一体何回氷上に三回転半のらせんを刻もうとしたのだろう。その諸刃の剣を最後まで手放さなかったのはなぜだろう。 

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