宇都宮徹壱ウェブマガジン

GWと恩人の死と執筆の日々 徹壱の日記2017 5月1日(月)~7日(日)

5月1日(月)晴れ、一時雨@藤枝~沼津~東京

 6時起床。今回宿泊した藤枝のホテルは、値段のわりにはかなりグレードが高くて非常に満足している。朝食のメニューに藤枝名物の「朝ラー(メン)」があったので試してみた。うーん、これラーメンなの? というのが率直な感想。朝食後はチェックアウトの時間まで『蹴球百景』の原稿を執筆する。

 10時55分にチェックアウトして、昨日夕食を共にした芸大サッカー部後輩Yと再会。焼津に実家があるYの案内で、当地の名門校、藤枝東高校に向かう。途中、バスの車窓から見える風景を眺めながら「このへんも25年ぶりに訪れましたけど、ずいぶんとシャッター商店街が増えましたよね」とYがつぶやく。バスを降りると「サッカー最中」の看板があって、あらためて「サッカーのまち」は伊達ではないことを痛感する。

 藤枝東の校門を拝んでから、敷地の周りをゆっくりと散策。立派な人工芝のグラウンドを発見して、ここから何人もの日本代表選手が巣立っていったことを思うと、少しばかり胸がときめく。その後、今日の取材先である藤枝市役所まで徒歩で向かい、近くの寿司チェーン店で昼食。いろいろと身内話をしてから、東京での再会を約束してYと別れる。

 13時より藤枝市役所を取材。サッカーのまち推進課の課長さんは、藤枝東でゴン中山の1年上で、「日本最強の自治体チーム」藤枝市役所サッカー部でもプレーしていたという。のちにアビスパ福岡となる中央防犯サッカー部の話も聞くことができて、いろいろと収穫の多い取材であった。同席してくれた藤枝MYFCの広報さんに送っていただき、西焼津から東海道本線に乗って沼津へ。綱渡りのスケジュールを何とかこなすことができてほっとする。

 16時より、今度は沼津市役所で取材。スポーツ振興課と観光戦略課のスポーツ観光推進室、それぞれの担当者が対応してくれた。後者の組織ができたのは今年から。アスルクラロ沼津がJクラブとなったことで、市の重要な観光資源と見なされるようになったということのようだ。自治体の対応も、ようやくスタートラインに立ったところという印象。それでも、クラブを盛り立てていこうという積極的な姿勢には好感が持てた。

 17時に撤収。バスで沼津駅に戻り、急いでお土産を買ってから帰路につく。三島から新幹線に乗換え、2時間ちょっとで帰宅することができた。この首都圏へのアクセスの良さは、観光地沼津の強みである一方、人口流出の原因にもなっているんだなと実感する。カミさん、21時に帰宅。夕食は、沼津の干物と焼津の黒はんぺんを日本酒と共に。明日のイベントの準備が残っているが、明日頑張ることにしよう。23時20分就寝。

欧米ではあり得ない、頭が悪すぎる日本の大臣

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