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なぜ『喫茶山雅』は39年ぶりに復活したのか? 小澤修一(株式会社松本山雅営業)インタビュー<2/2>

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■発想のきっかけは「山雅らしい新しいこと」

――ここでまた、話を喫茶山雅に戻します。そもそも伝説の喫茶店を復活させて、街の情報発信の拠点にしようというアイデアは、どこから生まれたのでしょうか?

小澤 クラブのルーツが喫茶店ということで、「復活してほしい」という声は営業している中でもけっこう耳に入っていたんです。個人的にも、クラブのアイデンティティを醸成する上で、リアルな店舗があったほうが絶対にいいだろうなとは思っていました。実はJ1に上がった15年には「昇格記念事業」という形で、喫茶店をスポットで復活させるアイデアはあったんです。

――期間限定で喫茶店を復活させようと?

小澤 そうなんです。でも、場所やマンパワーの問題もあって、結局立ち消えになったんですよね。

――ちょうどその年、クラブ設立50周年のイベントがあったじゃないですか。小澤さんも参加されたと思うんですけど、どんな感じでした?

小澤 あの時は、ものすごくたくさんの方が集まって、お年を召した方々が「実は俺も山雅でやっていたんだよ」ってお話されていました。そういう方々が、今の山雅の存在をうれしく思ってくれているというのが、すごく僕の中で印象に残りましたね。僕自身は、Jリーグを目指し始めた05年から15年までの10年間しか、クラブの歴史を知らなかったんです。でも、そういった方々が築いていただいた道の上に、今のクラブがあるということを実感できました。

――その50周年のイベントがあり、スポットで喫茶店を復活させることが立ち消えになったのが15年。そこから今回のプロジェクトの具体化まで、どんな経緯があったんでしょうか?

小澤 J2に降格した16年のスローガンが、『One Soul 新・起動』に決まったんですね。何か新しいことを始める年にしようと。そこで僕は、このまま同じことをやるのではなく、何か山雅らしい新しいことができないかなと考えていたら、喫茶店復活のアイデアがポンって出てきたんです。それがスタートで、去年の1月のことでした。

――小澤さんが、ご自分で企画書みたいなものを作って提案したんですか?

小澤 社内で「新しいこと始めたい人いませんか?」みたいな募集があったんですよ。その時に自分で手を挙げました。具体的には社長宛に「こんなことをやりたいんです」ってメールで投げたんですね。ただ、その時はまだ具体的なイメージは、ほとんど固まっていない状況だったんですけど。

――単純な話、まず予算の問題がありますよね。

小澤 結局3人が手を挙げてスタートしたんですけど、何も知識がなくて、まっさらな状態でしたよね。ですから「もう少し煮詰めてから話を持ってこい」と言われて。そこからですね、いろんな人に相談したり、自分たちで足を使って物件に当たったりしながら、どれくらいの予算が必要なのかを細かくリサーチしていきました。

――Jクラブが飲食店を出すというのは『ゼルビア×キッチン』が思い浮かぶんですけど、参考になるところはありましたか?

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