なぜFC町田ゼルビアの試合を描き続けるのか? ながさわたかひろ(版画家・絵描き)インタビュー<1/2>
今週は、町田市国際版画美術館で『インプリントまちだ展 2017 絵描き・ながさわたかひろ、サッカー・FC町田ゼルビアでブレイク刷ルー!』という展覧会を開いた、版画家で絵描きのながさわたかひろさんにご登場いただく。本稿は9月16日の会期中に行われた、ながさわさんと私のトークイベントを再構成したものである。
ながさわさんの作品スタイルは、実にユニークなものだ。最新作のモティーフは、J2所属のFC町田ゼルビア。今季の全試合の模様を版画作品にするという製作を続けている。ながさわさんはそれ以前にも、プロ野球の楽天ゴールデンイーグルスや東京ヤクルトスワローズで、同様の作品に取り組んできた。それも、ただ試合を活写しているのではなく、「戦力になりたい」という思いをもって製作を続けてきたという。
アーティストとしてスポーツにコミットしようとする、ながさわさんの活動は、かつて美術の世界にいた私にとって非常に興味深いものであった。お会いしたのは今回が初めてだが、世代的に近いこともあって大いに話ははずんだ。今回のトークは、美術教育やプロ野球などにも話題が広がり、最後にようやくJリーグや町田の話に収斂されていく。とはいえ、サッカーファンにも十分に楽しめる内容となっていると自負しているので、最後までお楽しみいただければ幸いである。(収録:2017年9月16日@東京)
<目次>
*ムサ美に入学したとたんに燃え尽きてしまった理由
*受験時代のトラウマと版画との出会い
*「V9時代の巨人の野球を」というノムさんの言葉
*単なる応援ではなくて「戦力になりたい」
*ヤクルトの優勝と町田ゼルビアとの接点
*サッカーも美術も「正解がない」からこそ
■ムサ美に入学したとたんに燃え尽きてしまった理由
――今日はよろしくお願いします。ながさわさんは1972年のお生まれで、ご出身は山形の東根市。私はモンテディオ山形の取材で、山形市と天童市にしか行ったことがないんですが。
ながさわ 東根は天童のひとつ上ですね。名物がさくらんぼで、JRの駅も「さくらんぼ東根駅」というんです(笑)。
――なるほど(笑)。高校卒業後、ながさわさんは武蔵野美術大学、通称「ムサ美」に進学するわけですが、その前に美術系の予備校に通っていらしたと思います。予備校は東京でしょうか?
ながさわ そうです。卒業して、すぐに東京に出てきました。で、僕にとっての東京のイメージって「田園調布」だったんですよ。それで田園調布に予備校があることを知って、浪人1年目はそこに通うことになりました。予備校といっても、薬局の2階にある10人くらいしか生徒がいない画塾みたいな感じのところで、入ってから「しまった!」と思いましたね(笑)。場所も、高級住宅地のイメージではなく、下町みたいな感じでしたし。
――1浪目の結果は?
ながさわ ダメでしたね。それで2浪目からは、(東京)藝大の油絵科に一番合格者が多かった、某大手予備校に行ったんです。そしたらそこがスパルタで。講師の人が「こうやって描け」っていうものを身に着けて合格させるっていうシステムなんですね。それに従わないと「また、こんなのを描いているのか!」とか言って、作品を窓から投げ捨てたりする(笑)。
――すごい話ですね! というか、美術教育としてどうなんだろうかと(苦笑)。
ながさわ それに乗っかったヤツは確かに受かるんですよ。でも、僕みたいに反発するヤツは全然ダメで。1浪目からは藝大も受験したんですけど、結局3浪でもダメだったので、それでムサ美に行くことになりました。
――最近はだいぶ競争率下がったみたいですけど、私が受験生だった当時の藝大だと、デザイン科で50倍、油絵科はそれ以上ありました。だから2浪3浪なんてかわいいもので、おっさんみたいな受験生が普通に試験場にいましたよね(笑)。
ながさわ いました! 本当におじさんというか、変な格好をしている人とかいましたよね。下駄を履いて試験会場に来るとか(笑)。初めて受験した時は、そういう感じの人に圧倒されたのをよく覚えています。
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