「栃木フットボールマガジン」鈴木康浩

【無料記事】「自分はまだプロになれていなかった」FW松村亮の秘めた思い。

自分の言葉でしっかりと考えを伝えることができる選手――。

 

この1年間、松村亮の受け答えに寄り添うなかでそんな印象をずっと持ってきた。

若いけれど、しっかりと頭をフル回転させながらサッカーに向き合っている。

 

なかなか出場機会をつかめないなか、いたずらに時間だけが過ぎ、しかし、松村はシーズン終盤にようやく連続試合出場のチャンスをつかんだ。

 

ここに掲載するのは、栃木が今季、事実上のJ3降格に直面した第41節京都戦の翌週、チームが悲痛に暮れるなかで過ごした、最終節2日前の松村の受け答えだ。

 

松村は京都戦でイエローカードをもらい、最終節に出場するチャンスを失っていた。所属元のヴィッセル神戸へのレンタルバックが濃厚な松村は、事実上、栃木での1年間のプレーを終えた身だった。

 

このときの松村の受け答えが、実に印象深く、味わい深いので掲載したい。

FW松村

 「神戸にいたときは周りに頼っていた」

――今週はどんな思いでトレーニングしていたのでしょう。

「この前(京都戦)の前半にイエローカードをもらった時点で、最終戦はでられへんのか、という気持ちが出てしまったんですけど、でもすぐに『今日の試合は全力でやろうぜ』とみんなが声をかけてくれて、それで切り替えてやれたんです。試合に勝って最終節につなげたかったんですけど、それができなかった。でも、やっぱりいいメンバーというか、こんな状況でも俺にいつもどおり声をかけてくれるし、自分としてはもう試合へのモチベーションはなくなった状態だけど、このチームのために少しでも自分ができることはないかと考えたとき、練習でいつもどおりのプレーをみんなに見せることが自分にできることなのかなと思うんです。明日の紅白戦はスカウティングのビデオを見ながらやることになりますけど、最後は絶対みんなに勝ってもらえるように、自分も勝利に貢献できるように、みんなの良さを引き出すような声かけとか、自信をつけさせる声かけとか、そういうのをしてあげたいなと思っています」

――この練習はもうあと一回で終わりだなとか、そういうことは考えることありました?

「そうですね。栃木に加入したときと比べると、こういう(栃木の)練習場の環境にも慣れて、ちょっと寂しいというか。まあでもやっぱり、何よりもこのチームをJ2に残らせてあげられなかった、いい順位にいさせることができなかった、それが一番にありますし、もっとシーズンの前半から監督にいいアピールをして、試合に出してもらえるようなプレーが練習からできれば、チームはもっといい順位にいられたと思うんです。なんでもっとスタメンで使ってもらえるようなアピールができなかったのか、本当に自分自身に悔しい気持ちが強いんです。やっぱり、試合に出始めてからはすごく楽しかったし、チームがああいう苦しい状況のなかでも楽しさがあったし、このチームメイトはすごく、今までサッカーをしてきたなかでもすごくいいメンバーだと感じたし、だからこそ、チームとしての結果をみんなのために残せなかったのが本当に悔しいです」

――個人としてシーズンを振り返ったとき、出場できない時期もあれば、一方で最後は試合に出続けることができた。最後はプロとして一番試合に出場した時期だったと思うんですが、どういう思いがありますか?

「やっぱり、シーズンの前半戦から今みたいに毎週リーグ戦に向けて準備ができるというサイクルでいければ、チームの結果も変えることができたという思いが強いです。でも最後にずっと試合で使ってくれて、自分のなかで自信が持てるようになったし、練習よりも本番に出ることはやっぱり大事なんだという実感ももてたので、この感覚を来年につなげること、栃木での経験を周りの人たちにどう見せられるか、というのが来年の自分の仕事だと思うんです。結果を残せなかったのは事実だし、こういう苦しい経験は自分のなかで糧にしないといけない。そして自分がもっと活躍して将来有名になったときに、栃木でこういう経験をしていた、ということを自信をもってたくさんの人に知ってもらいたいというか、栃木での苦しい経験があったから今がある、ということを周りのみんなに伝えることができたらと思うんです」

――神戸から出てきてこの1年で得たものはそういうこと?

「はい。実際、神戸にいたときは周りに頼っていたと思うんです。まず、自分が、というのがあって、周りに助けてもらっていることすらもわかっていなかった。自分のパスがズレたとしても相手がトラップしてくれたりとか、自分が走り出したら自分の目の前にボールがピタリと来たりとか、そういうのが当たり前だと思っていた。だから自分が起こしたミスなのに相手の責任にしていたところがあって、そういうのがすごく多くて。それは、まだ自分がプロになれていなかったんだなあと今になって思うんです。今年、J2の相手と堅い試合をするなかで、そういう細かいプレー、味方へのパスがズレないとか、スルーパスを完璧に通すとか、それが成功するかどうか結局自分次第というのがあって、そこで俺は今まで味方に頼っていたんだなというのがはっきり見えました。そういうなかで自分が味方を生かすプレーとか、味方がいいボールをもらえるための自分の動きとか、自分が3人目になってボールをもらう動きとか、オフザボールの動きはJ2のなかでも非常に大事になると思いました。最初はね、なんでこんなことせなあかんねんと思っていましたけど、そういうことをやるなかで、ああ、こうすれば味方がいいボールのもらい方ができるんやとか、それも試合に出るなかでようやく掴めるようになったことなんです。こういう苦しいなかで、みんなが必死にプレーしているなかで、それでも技術がブレないとか、そういうことこそがより高いレベルになったときに生きてくるんだと自分のなかで感じることができたので、すごい良い経験というか。正直、自分たちよりも相手が強いという状況が多かったなかで、そういうことがしっかり学べたかなと思います」

――この前の京都戦なんかは、本間(勲)さんからビシビシとスルーパスが出てくる中でボールを受けて、その辺はうまくコンビネーションも改善されてきたところだったんじゃないかと。

「そうですね。同じメンバーと試合を積めば積むほど連携はできてきて、それでいいサッカーができている感触があるなかで終わってしまったんで。これが夏の終わりとかだったら、絶対にもっとチームとしていい成績を残せたし、だからなんでもっと監督とかに、スタメンで使ってもらうためのアピールができなかったのか。でもそれは結局、その頃の自分はまだ味方に責任を押し付けるようなプレーをしていたからで、もっと自分がどう変わればってことをまず考えて、色んなスタッフやコーチとかに自分が活躍するイメージを見せつけることができていればよかったんだといまは思うし、そう考えないといけないというのが学べたことは大きいと思います。来年もし違うチームにいくとしても、自分はこの先ずっと、栃木での経験が生きている、というのは絶対に自信を持って言えます。それに栃木での経験を周りに認めてもらうには結果を出すしかないんで。本当にこのチームメイトたちと一緒にやれてよかったと思います」

 

J3降格、最悪のシーズン。そんな印象ばかりが色濃い今季だが、決して何も残らなかったわけじゃない。

少なくとも松村亮のなかで、栃木の2015年シーズンは、宝物として生き続ける。

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