日々雑感—ミハイロ・ペトロヴィッチー光が射している

文●島崎英純 Text by Hidezumi SHIMAZAKI
写真●神谷正明、郡司聡、島崎英純 Photo by Masaaki KAMIYA,Satoshi GUNJI,Hidezumi SHIMAZAKI

 

就任わずか10日目に

今でも鮮明に覚えている。2012年1月29日。ミハイロ・ペトロヴィッチ監督が初めて浦和を率い、対外試合を行った日だ。対戦相手は当時J2に所属し、曺貴裁監督がチームを率いていた湘南ベルマーレだった。ペトロヴィッチ監督が指揮官に就任してからわずか10日目に、浦和は湘南に51で勝利した。その得点パターンは全て、宮崎キャンプで選手に叩き込んだ数少ない攻撃パターンからだった。

監督就任から5年間、全てのキャンプ取材をしてきた中で、ペトロヴィッチ監督が選手に発した言葉で心に残るものがある。それは就任年度の鹿児島・指宿で、練習中に集中を欠いた選手を叱責した時の言葉だった。

「これまでも君たちは、そうやって好き勝手に、自分本位で物事を進めてきたのではないか? しかし、その結果が昨季の15位という結果(2011シーズンの浦和の順位)になったということを認識しなさい。今、私たちは同じ方向に進もうと努力をしている最中だ。それなのに、ひとりでも独りよがりなことをするのなら、私はその選手を絶対に許さない。君たちはすぐに人のせいにしてこなかったか。まずは自分を鑑みなくてはならない。それがたくさんのサポーターが支える浦和レッズというチームでプレーする選手の、最低限の責務なんだ」

緊張感が欠如していた選手たちの心を打ち砕く痛切な一言に、監督の信念を感じた。これ以降、浦和はこの指揮官の下で迷いなく、ひとつの方向へ突き進んでいる。

選手、チームスタッフはペトロヴィッチ監督を親愛の情を込めて『ミシャ』と呼ぶ。親しみやすく、フランクで、思慮深い性格から、自然と彼の周りに人が集まってくる。一方で、もうひとつの指揮官の顔は激烈だ。彼は究極のロマンチストであり、その思考は一切揺らがない。

「我々のやり方はおそらく難しいものでしょう。私はロマンチストなんです。時として結果よりも内容を求める。観ている人が面白いと思えるものを目指す。観ている人があってこそのサッカーです。したがって私は内容を求めるし、その上で結果を追求しています。そのような高いレベルでサッカーを構築したいと思っているのです。なかなかそのレベルに到達するのは難しいことですが、そこを目指すことが大事だと思うのです。決して簡単ではない。しかし私はGKからボールポゼッションしながら攻撃を構築するやり方を採用する。それが私の哲学なのです」

2012シーズンから2015シーズンまでの4年間。ペトロヴィッチ監督は自らのサッカー哲学を選手たちに叩き込み、慎重さと大胆さを織り交ぜながらチーム構築を進めてきた。その『サッカー』は独特で特殊なものだったが、対戦相手はペトロヴィッチ監督のサッカースタイルに畏怖の念を覚え、対策を講じ、全力で対峙してきた。その結果、現体制の浦和はこれまで、リーグ戦、カップ戦ともにひとつのタイトルも獲得できていない。

ペトロヴィッチ監督は選手に攻撃的な思想を植え付ける一方で、守備組織の概念については日常のトレーニングでつぶさに指導しないと揶揄されている。しかし指揮官は周囲の意見に真っ向から反論し、今季は前線から激しくプレス&チェイスして敵陣でボールを奪い取る積極的守備を標榜している。ただし、その裁量は選手個人の判断に委ねられ、ユニットでの囲い込み、バックラインのラインコントロール、カバーリングなどの直接指導は行われず、ミニゲームなどの実践形式の中で身に付けさせる手法が用いられている。

またペトロヴィッチ監督はセットプレーからの得点を好まず、あくまでもインプレーの中での連動した崩しを重視する。そのためCKFKからの得点パターンを練習することはなく、これも選手個人の力量や判断が依る術となっている。

近年、Jリーグやカップ戦を制覇してきたチームは、チームスタイルを実践する中である程度の妥協を受け入れてきた。潔く守備を固め、乾坤一擲の一撃を浴びせるゲームプランで勝ち星を得ることがタイトルへの道筋であることを示したチームもある。もちろん現代サッカーは攻撃と守備が表裏一体で、どちらが欠けてもチーム強化が図れないことは周知の事実だ。ペトロヴィッチ監督もそれを認識し、最善策を模索する所作も見せている。しかしそれでも、今の浦和の監督の信念は他と一線を画する。

「サッカーはスペクタルなものです。スタジアムに多くの観衆が詰めかける空間でなければならない。いかに良い内容をお互いに求め、それを観る者が楽しむか。それがサッカーの醍醐味です。その中ではもちろん勝敗が付きまとうわけですが、内容を見せた上で結果を得る方が、一層喜びが増す。時には負けることもあります。ただ、その中でも何かの夢を与えることはできる。サッカーは今後、そのような方向へ向かうと思います。つまらない内容のサッカーをして負ければもちろん批判を受けます。しかし良い内容の試合をすれば、その評価を正当に得られる時代になる」

5年目のシーズン

2016シーズンの今季、浦和はリーグ戦で好調を持続し、AFCアジア・チャンピオンズリーグではペトロヴィッチ監督就任以来初となるノックアウトステージへの進出を決めた。一昨季は終盤戦で勝ち星を落としてガンバ大阪にリーグ戦で逆転優勝され、昨季はチャンピオンシップで再びG大阪の後塵を拝し、結局サンフレッチェ広島がCSを制して浦和はリーグ3位の立場に甘んじた。指揮官がいくら理想を掲げても、成果を得られなければ体外的な批判が高まる。それでも監督は周囲から巻き起こる数々の言葉を受け止めながら、頑健なまでに自らの意思を貫く。

浦和に所属する選手たちは指揮官と強固な信頼関係を築き上げた上で、自らの意思でタイトルへの渇望をも示す。例えば槙野智章はペトロヴィッチ監督との関係に一切の破綻がないことを前提として、様々な意見を交わしているという。

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