【無料掲載】【コラム】日々雑感ー関根貴大『あのピッチへ』

冬のベルリンと熱狂のライプツィヒ

 2016年末、ドイツ・ベルリン。地元民や観光客で賑わうカイザー・ヴィルヘルム教会前のクリスマスマーケットでカリーヴルスト( Currywurst,/カレーソーセージ)を食べていた。12月のベルリンは極寒で、人々は凍えた身体をグリューワイン(Glühwein/ホットワイン)で温めている。でも彼は、お酒が飲めない。仕方がないのでガツガツとカリーヴルストを頬張り、霧で霞むクアフュルステンダム通りの方角を見つめていた。明日はどんなゲームになるのだろう。ジュニアユース、ユースの頃から憧れていた先輩が立つピッチへ思いを馳せ、マーケットを離れた彼は、冷たい鉛色の石畳を歩いて宿へ帰った。

 翌日、ベルリン中央駅からドイツ国鉄のDB(Deutsche Bahn/ドイチェ・バーン)に乗る。今回観戦するヘルタ・ベルリンのゲームはホームのオリンピアスタディオンではなく、東ドイツの古都・ライプツィヒでの一戦だった。レッドブル・アレナを本拠とし、巨大企業をバックボーンに急成長を果たす新興チームに対してヘルタがどんなアクションを起こすのか。正直楽しみでならなかった。

 ライプツィヒは綺麗な街だった。重厚な建物、きらびやかな装飾物。小都市らしい慎ましさの中にある気品と威厳。澄み渡る冬の青空の下でスタジアムへ続く道を歩いていると、次第にユニホーム姿のサポーターが増えてくる。すり鉢のような形状のレッドブル・アレナは動線が複雑で、入り口を見つけるのに難儀した。しかも入り口が狭くて限られているからサポーターが長蛇の列を成している。

「これは試合時間に間に合わないな…」

 ようやくスタンドに入ったら、試合が始まって3分が経過していた。先輩の姿を探す。居た。憧憬の念で背中を追う背番号24は、相手の猛攻を浴びて肩で息をしていたーー。

 ライプツィヒは異次元のようなサッカーをしていた。鍛え上げられた肉体を惜しみなくピッチに叩きつけている。アプローチが強烈で、どこまでも速い。そのスピードは走力の意味合いだけに留まらず、プレー判断にまで及んでいる。何より驚愕したのは、屈強なフィジカルを有した若き”モンスター”たちが、最先端の戦術を駆使してチームに忠誠を尽くしていたことだ。日本の強みは組織プレーだと言われていた。しかし、その評価はすでに風化している。個人も組織も、全てが高い頂の上にある。

『自分も、ここで勝負したい』。

 溢れる想いを抑えられなかった。

先輩の言葉

 試合後にベルリンで先輩と夕食を共にした。ヘルタはライプツィヒに0-2で完敗したから、先輩の機嫌は最悪だった。それでも無遠慮を装って聞いてみた。

「もっとサイドで勝負できれば良かったですね」

 フォローしたつもりだったが、なぜか逆鱗に触れてしまったようだ。

「お前さ、だったらここでやってみろよ」

 言い返されたけど意に返さなかった。大体そうだ。いつだって物怖じしない。たとえ大目標が前に立っても、それを押しのけて進む。彼には良い意味での蛮勇がある。

 ”先輩’は、彼が2014年初頭にユースからトップチームに昇格した直後の宮崎キャンプで、こう言っていた。

「アイツは良いよ。技術とかフィジカルとかはもちろんだけど、何より目つきがいい。何にも動じない。絶対譲れない思いがある。表面的なことかもしれないけど、それがプロサッカー選手の信念を表すって俺は思ってる」

 では、2017年の後輩はどうなのだろう?

「すげーよ。この前の広島戦のドリブルも凄かった。『どこに向かっているのか』を表しているようなゴールだったね。まあ、オレには負けるけど」

 この人も相変わらず不遜だ。それでも、そんな彼が最大級の賛辞を送るのだから、その意味合いを正確に捉えられる。

「ひとつだけ”タカ”に対して言わせてもらうとさ、もっと食生活に気をつけろ。トレーニングしろ」

 ひとつではなくふたつ言っているのに気がついてないのは仕方がない。後輩への叱咤激励には、彼なりの優しさがこもっている。

”故郷”への想いを馳せ、新たなる境地へ。

 ユース時代に出場した天皇杯では歳下の選手にゴールされたことが悔しくてプロ初出場の感慨なんて生まれなかった。ケガをしてシーズンを棒に振った時代は苦しく、プロの舞台で戦う自らの姿を思い描けなかった。それでも2007年に浦和レッズがアジアの舞台で頂点に立ったとき、いつか必ずあの場所に立つと誓ったことを忘れなかった。何事にも不動の精神で立ち向かえたのは、その夢が自らの背中をずっと押していたからだ。ダービーで敗戦したとき、零れそうな涙を堪えながら『次は必ず勝つ』と言った眼は、浦和レッズの選手である覚悟を示していた。そして今、彼は新たなる挑戦に打って出る。

「”ゲンキくん”は今、凄いところで戦っている。自分も早くこの舞台に立って”ゲンキくん”に追いつきたい。いや、追い越したいです。それくらい思っていてもいいでしょ? 本人に言ったら『生意気言うな』って怒られるから言わないけど(笑)」

 3年半の間、赤いユニホームを着て懸命に闘ってきた彼には夢を追う権利がある。”ゲンキくん”が、彼に語っていた言葉が心に響いている。

「オレとオマエはさ、やっぱ、少し他とは違うんだよ。ふたりとも浦和というクラブに育てられた。その看板を背負って世界に出てくんだから、相応の覚悟を持って、相応の力を見せつけなきゃならないんだよ。それで、いつか必ず浦和へ帰る。それがオレたちのような選手を育ててくれたクラブ、チーム、サポーターへ恩を返す、最低限の責務だと思う」

 真剣な眼差しで耳を傾けていた。深く頷いていた。

 継承される遺伝子。関根貴大は、強く深く浦和を想い、ドイツへと旅立つ。

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