松沢呉一のビバノン・ライフ

桑田佳祐の謝罪に思うこと-勝手に期待して勝手に失望するな (松沢呉一) -2,846文字-

一歩を踏み出すと十歩を期待されることの重荷

 

vivanon_sentence大橋仁の件で東京都写真美術館に質問メールを出した椎名こゆりさんFacebookでやりとりをしたのですが、想像していた通りのことが起きていたようです。

彼女によると、くだらんバッシングメールとともに、次を期待する人たちが出てきたと。一歩を踏み出すと十歩を期待されてしまう。

一歩目は彼女がやったのだから、二歩目、三歩目は他の人がやればいいんですよ。駅伝と一緒。次の人にバトンタッチしたら、あとは休憩してテレビで様子を眺めていればいい。20キロまでは覚悟しているとしても、続けてトライアスロンまで求められたらたまらんよ。

私は彼女がやったことを引き継いで、おかしな方向に行かないようにチェックしたり、議論のための素材を提供すること、考え方を提供するのが役割です。それぞれがそれぞれの役割を果たせばいい。そうしていかないから後が続かず、一歩目さえも重くなる。

なんでこういうことになるのかと言えば、「行動するのは私以外の他者」「解決するのは私以外の他者」だと思っているからです。依存であります。こういう人たちは自分の期待通りに動かないと、今度は「失望しました」と言い出します。要注意です。

桑田佳祐が謝罪して、そろそろ落ち着いてきたと思うので、紅白歌合戦の一件も書いておきますか。

 

それぞれのステージで歌え!

 

vivanon_sentence謝罪が出る数日前のこと、知人から電話がありました。「サザンについての原稿を書かなきゃならなくなったのだが、参考に意見を聞きたい」という電話です。誌面に出るコメントを求められたのではなく、あくまで参考のためです。

私はざっと以下のように自分の考えを説明。

 

ここまでオレは紅白で桑田佳祐のやったことにほとんど触れていない。「よくやった」とは思うけれど、褒め称えることにも抵抗がある。そういうテーマの曲ではあっても、たかがヒゲをつけたことまでなんでことさらに褒めなきゃいかんのさ。あんなん、サラリと流せばいいものでしょう。

今のこの社会では、あれしか褒めることがないのも事実だし、そういう社会ではあれをやるのも軽い気持ちではできない。でも、本当はあんなことはミュージシャ ンが全員やれば昭和八十三年度! ひとり紅白歌合戦 [Blu-ray]いいことだよね。それぞれにそれぞれのやり方で意思表示すればいいのであって、あの程度でも突出してしまうことが問題。だからと言って、他のミュージシャンに期待するのも間違いだと思う。

現にあれしかないんだから、褒める人たちを批判もしないけど、本当は全員がやればいいこと。職場や学校、家庭、地域で全員がやれば桑田佳祐の行動は当たり前のものになる。ミュージシャンじゃなくても、それぞれにステージはある。他人に期待するなら、まず自分がやればいいんだよ。

 

みんな桑田佳祐に期待しすぎじゃないか。ミュージシャンに期待しすぎ。有名人に期待しすぎ。「ジョーク」は軽く流さないとジョークじゃなくなってしまいます。

「桑田佳祐は素晴らしい」「サザンは素晴らしい」と思ったら、その瞬間から自分の持ち場で行動し、意思表示すればいい。他人の言葉を借りるのでなく、他人を褒めるのではなく、「私」を主語に語りだせばいい。それが正しくメッセージを受け取るってことですし、桑田佳祐を突出させないための方法だと思います。もちろん、そうしている人たちもいますけど、その数が少なすぎるし、他人を褒めてもいいけど、褒めすぎ、期待しすぎ。

 

 過剰に期待する人々がミュージシャンの意思表示をためらわせる

 

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かといって、盛り上がっている人たちにわざわざ水を差すようなことでもなく、その電話以外で、このことを語ったことはないのですが、今回の謝罪を受けて、ちょっとは言っておいた方がいいかなと思って、これを書くことにした次第。

結論を先に言っておくと、「勝手に期待して、勝手に失望すんなよ」ってことです。じゃないと、これがまた悪い教訓になってしまう。

こう私が考えてしまうのは経験によるところが大きい。

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