世田谷に実在した自殺の名所を訪ねる-魔の線路 後編- [ビバノン循環湯 14] (松沢呉一) -4,989文字-
「魔の線路」の後編です。 前編はこちら。
現場を訪れる
小田急線沿線は高架工事が進んでおり、それに伴ってやたらときれいになった成城学園の駅を降りる。
成城学園は代官山や自由が丘と違い、オシャレで高級感のある街ではなく、緑の多い学園と静かな住宅の街だったのだが、駅ビルでずいぶん印象が変わった。
対して、祖師ヶ谷大蔵駅は駅がきれいになってもなおこぢんまりとした庶民的な街である。こちらは円谷プロがある場所として知られ、駅前にはウルトラマンの像がある。オタクにとっては聖地だろうが、であるがゆえにチープさは拭えず、落ち着いた町並みに高級感が加わった成城学園との対比がくっきりしている。
この間、わずか1キロほどだ。この間に松林があって、そこが「魔の線路」だったはず。なにかこのふたつの街を区切る象徴的な意味をもっているような気がしないではない。
成城学園駅に隣接した交番で、上之台駐在所のことを聞いたのだが、まったくわからないとのこと。長期間同じ交番に勤務しているわけではないので、知らないのは当然ではあるし、交番に古い資料は保存していないだろう。
上之台の地名は現在なくて、成城学園と祖師谷大蔵の間に、それらしき交番も存在しない。もう何十年も前に廃止されたようである。もし例の交番が実在していたら、の話だが。
また、小田急線はすでに踏切はなく、交番の警官たちは、踏切があった時代のことも知らない。
当時を思わせる風景
線路沿いを歩いてみた。今も成城大学の駅は高台にあって、近くを流れる給田川沿いは一段低くなっている。この周辺のことをよく知っているわけではないので、文章を読んだ時に逆のイメージを思い浮かべていた。
丘を切り開いて線路を通し、両サイドが高くなっていると思ったのだが、実際には丘を切り崩して住宅や学校を作り、駅はそのまま丘の頂上にあったため、崖の谷間に線路があるのでなく、高い場所に線路があり、その両サイドが崖になっていたのだろう。
さすがに半世紀以上前のことだから、松林はなく、線路の脇には低木が植えられているだけ。しかし、庭木として松が植えられているのをしばしば見かけ、どこからかもってきたのでなく、もともとここにあったものではなかろうか。だとすると、数々の自殺現場を目撃していた松かもしれない。
片っ端からお年寄りに声をかけたのだが、この近隣にいる人たちは、この地で生まれたのでなく、どこからか引っ越してきた人が多くて、古い時代のことを誰も 知らない。たまたまではなく、この近隣、あるいはこの近隣ではなくとも、かつて武蔵野と呼ばれた地域はどこもこんなもの。人が多く移り住んだのは戦後のこ と、そして高度成長期以降のことである。
この周辺は今も森が多くて、それらを潰して大きなマンションが次々とできていて、あちこちにマンションを販売する会社のスタッフが立ってガイドをしている。今も移り住んできている人が多いのだ。
近くを歩いていた80代と思われるおばあちゃんに声をかけた。家はここからちょっと離れている上に、この地に引っ越してきたのは昭和40年代とのこと。
「自殺の名所があったという話は知りませんね。でも、引っ越してきた頃は、この辺一体が松林や竹林でしたよ。最近まで線路の反対側に松林があったんですけど、今は大きなマンションになってます」
成果あり。
おばあちゃんの言葉を確認すべく、線路の反対側に出た。それらしきマンションがある。線路から離れすぎているが、おそらく今から半世紀以上前だと、そこかしこに林があって、その中に家が点在しているような状態だったのだろう。そのことを想像させるように、今なお鬱蒼と繁る木立の中の古い民家がチラホラと残っている。
やはり庭木に松が多いのが目立つ。あるいは普段は意識しないだけで、どこでもこんなものなのか。
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