日本初の女性検事・門上千恵子をめぐるふたつの事件-[ビバノン循環湯 18] (松沢呉一) -5,269文字-
2年ほど前にミリオン出版かどっかのムックに書いたもの。2年もすれば、そろそろ転載してもいいでしょう。
この話には心底驚かされました。「誰が脚本を書いているのか」って感じです。人間は恐ろしくて面白い。
冒頭に出てくる事件の概要だけでも十分読み応えがありましょうが、「札幌の事件」は門上千恵子が手を加えていますので、そのまま事実としてどこかに転載したりしないようにお願いします。実際に起きた事件の詳細はそのあとです。そして、驚きの展開が待ってました。
門上千恵子著『愛は法をこえて—-婦人検事の手帖』より
ずいぶん前に買ったまま読んでいなかった門上千恵子著『愛は法をこえて—-婦人検事の手帖』(東西文明社/昭和27年)のページをなんということもなくめくってみた。
この著者は、日本初の女性検事であり、この段階では唯一の存在である。だから購入したのでなく、事件ものの本はいつの時代も面白いからだ。この本はとりわけ面白かった。
260ページほどの本文のうち、約100ページを「分裂した意識」と題された文章が占めており、冒頭に掲載されたこの一文にグイグイ引き込まれた。
以下は私がまとめ直したもの。
昭和26年10月7日、札幌市にある広壮な鉄筋三階建ての邸宅で、主である製材会社社長の山本藤吉(71)は、猟銃で頭蓋骨を吹き飛ばされて死んでいるのを発見される。
当初は自殺として扱われるが、不審な点が次々と出てきて、火葬の寸前に検死されることに。検死の結果、警察は殺害されたものと見て、妻の連れ子である高校生の達夫(18)を逮捕する。これに続いて、観念したのか、実行犯として達夫の友だち3名が自首する。
達夫は父親の殺害を友人たちに依頼し、友人らは家に忍び込んで、トイレに立った父親の後頭部を撃とうとして忍び寄った時に、藤吉が振り返ったため、たまたま口の中に銃口が入って頭蓋骨が吹っ飛んだものと判明。
この数日後、達夫の母親である芳江(42)もこれに関与していたことがわかって共犯で逮捕された。
父親は内村鑑三に師事する熱心なクリスチャンであり、その財産を狙う冷酷無比な母子の犯罪と思われたのだが、取り調べが進むにしたがって、残忍な殺人母子は、意外にも同情を集めることになる。
藤吉は金をもっているが、人間としては最低の人物。これまでに8回結婚して、8回離婚。妻の連れ子にも手を出したため、妻が発狂したことも。
女手ひとつで子どもを育ててきた芳江は、そのような藤吉の評判を知りながらも、息子を大学に行かせてやるとの言葉を信じて再婚。ところが、藤吉は達夫を召使いのようにこき使い、大学に進学させる話もうやむやに。達夫はその復讐とともに、虐待される母親を救うために籐吉を殺す計画を立てる。
達夫が義父を殺す決意をしたのにはもうひとつ理由があった。彼はもともと素直な性格だったのだが、藤吉の子どもになってから、自分の性格がおかしくなっていくのを感じ、それを終わりにするためにも殺すことを決意したのだ。
彼が綿密に殺人を計画し、実行していく過程は、極端に冷静とも、極端に異常とも言える。動物を殺せないと人は殺せないというので、手始めに猫を殺し、これが平然とできるようになることで殺人の決断を強めていく。ここの描写は鬼気迫るものがある。
一方で、芳江も家を出る計画を立てていた。ところが息子の計画を知って、これに協力をする。とっとと家を出ればよかったようなものだが、息子が、自分の夫を殺すことの手助けをしたのだ。
ひどく虐待を受けてきた母子の復讐とわかってきて、世間の見方が変化していくのだが、さらに思わぬ展開が待っていた。
やがて芳江は、藤吉のことを愛していたのだと言い出す。息子の手前その素振りを見せられず、息子の前ではひたすら虐待されていたが、2人きりになると、彼らは数時間にも及ぶセックスに浸り、心底愛し合っていたのだと。
藤吉が達夫を虐待したのは、芳江の愛情を独り占めしたかったためだった。彼女は達夫の前でウソをつき続けてきた。虐待される哀れな母親を演じていたのだ。
にもかかわらず、愛する夫を息子が殺すことを黙認し、それどころか手伝いさえもしたことが解せないのだが、自分のために達夫が虐待され、大学進学も反故にされたこと、虚像を演じ続けたことの後ろめたさから、息子の復讐に逆らえなかったといったところか。
事件が解決していく過程もさることながら、このどんでん返しの心理ドラマが息をつかせぬ面白さ。
クリスチャンであり、立身出世の人物である表向きの顔とは違い、異常とも言える吝嗇で性欲過多の父親。美人の後妻、成績優秀で優しかった息子という登場人物のキャラ設定も完璧と言えよう。
元ネタになった事件を探り当てる
さて、この話、冒頭に妙な注釈がついている。
これは事実の記録ではない。一つのフィクションである。フィクションであるといってもまったくの架空かというと、そうでもない。
なんだ、それ。約1ページにわたるこの注によると、いくつかの事件を合せたものであり、それらから普遍性のある人間の心理を抜き出したもののようだが、そうはっきりと書いているわけでもなく、茫漠としていて、意図をとらえがたいのである。
しかし、こんな話が多くの人に共通する普遍性があるとは思いにくい。また、実在する雑誌名も出てきて、どういう事情からか、そのような注をつけただけで、実際にあった事件なのだろうと思える。
大宅文庫に行き、その謎はあっさり判明した。
(残り 3208文字/全文: 5530文字)
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