著作権に無頓着な物書きは信用できない- ゆるゆる著作権講座 8-(松沢呉一) -2,171文字-
岡田斗司夫は愛人問題ではなく、パクリ疑惑の方が致命的
予定を変更して岡田斗司夫の話です。
Facebookにも書きましたが、岡田斗司夫の愛人問題についてはずーっと無関心でした。ロフトラジオでも、この話を振られて、「どうでもいい」とスルーしました。ホントにどうでもいいです、岡田斗司夫の下半身事情。
事情がよくわかっていないまま、ロフトラジオでは「キス写真くらいいいじゃないか」と口走ったように、こういう場合は、どっちかというと擁護に回りたくなります。
たとえばその人が風営法を厳しくして性産業を規制しようとの主張をしていたり、性表現や性行動を規制しようとの主張をしていたりすれば話は別。そこを暴いて、「どの面下げて」と批判することもあるでしょう。
また、飲み屋の会話としてはそれもありです。身近な人だと知っておいた方がいい場合もあります。脅しや暴露のためではなく、知らないことによるトラブルが生ずることがありますから、人間関係は把握しておきたい。しかし、たいして知らない人の下半身活動をわざわざ知ろうとも思いません。
しかし、昨日になって、岡田斗司夫の『オタク学入門』』のマンガに関する章の9割は竹熊健太郎の講義をパクったものだったとの話を知り、俄然興味を抱いてしまいました。知るのが遅いってか。
愛人を何人抱えていても、どんなセックスが好きでも、どんなにチンコが小さくても、どんなにキンタマが臭くてもいいですが、物書きとして、これはあかんでしょ。
講義の内容を自分の言葉に直したものなのか、言葉をそのままパクったのかによっても違ってきましょうけど、これは著作権法にも抵触しかねないのではなかろうか。法律に反していなくても、これはアウトだと思います。「ゆるゆるでいい範囲」ではとうていありません。唐沢俊一と言い、岡田斗司夫と言い、いったいなんなんですかね。
「日本よ何処へ」と「世に倦む日日」の共通点
詳しい事情がわからないので、私はこれ以降も見物を決め込みますけど、著作権に無頓着な物書きは二重に信用がならないというのが持論です。それ自体が信用ならないのと同時に脇の甘さが信用ならない。いざと言う時に、こういう問題が暴かれてしまうわけですよ。
なにも法律の条文を完璧に理解する必要はなく、判例を知っておく必要もなく、常識の範囲で著作権を知っておき、実践すればいいだけです。法律を正確に知らないと、時には「これでアウトなの?」ということも起きますし、知っていてもなおうっかりは起きますが、岡田斗司夫の場合は、うっかりで起きることではなく、もし本当であるなら、常識の範囲でアウトだと思えます。
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