なぜオンリーたちは子どもを産んだのか-日本における黒人差別 3-(松沢呉一)-2,884文字-
米国のみでヒットした江利チエミの「ゴメンナサイ」-日本における黒人差別 1
の続きです。
『オンリーの貞操帯』のリアリティ
西田稔著『オンリーの貞操帯』は、今の時代に、いくら想像したところで想像しきれない現実を描き出していて、この辺のものを多数読んでいる私も教えられたことがあります。
たとえば以下の記述。
すでに終戦の四、五カ月の間に、戦争という怪物の蔭で、多くの娘たちが汚されたり、男女の性生活が一部では極度に混乱し廃頽していた事実も考えるべきだろう。敗戦の結果、それが表面に押し出されて、人生の敗残者となった一部の女性たちが夜の女となって街へ流れ出て来ている。
「終戦の四、五カ月の間」は「終戦までの四、五カ月の間」の意味(原本がすぐに出てこず、自分で引用したものを転載したもののため、書き写す際のミスかもしれない)。
今現在、このような視点を得ることは難しいでしょう。戦時中は自由な恋愛もできず、男と女が逢引することもできなかったと思っている人も多いはず。敗戦によって、処女だった日本女性は米兵に犯され、RAAの犠牲になり、街に立つしかなくなったのだと。
ところが、この本では、戦争末期には風紀が乱れ、それが敗戦によって表面化したのだと見ていて、戦中、日本の軍人に弄ばれた末にオンリーになった女性の証言も出ています。これは駒子という女性で、この本の柱とも言える役割を果たしています。
彼女の働く工場では、監督官として来ている軍人や会社のお偉いさんと肉体関係をもつケースが多数あったと言います。戦争が末期になるに従い、死の恐怖や厭世観に襲われて自暴自棄になったり、逆に生き延びるために有利な地位を得るべく、そういう選択をする女たちも多かったのです。
しかし、全部アメリカのせいにしておいて、現実を見ない方が楽です。その思いがこういった事実を消し去りました。
基地の街のリアリティ
この本は、想像では及ばないリアリティに溢れていて、米軍基地で復興を遂げた立川では、ある段階までパンパンやオンリーたちは必ずしも迫害されてはいなかったこともわかります。米軍への配慮もあってか、パンパンの刈り込みもほとんどなく、祭では「パンパン宿」の女たちも厚化粧をして神輿を担いでいたと書かれています。
その感触は今も立川には残っています。おじいちゃん、おばあちゃんたちが彼女らを語る時に嫌悪感みたいなものが伴うことはなく、とくに恥ずかしがることもなく思い出を語ってくれます。オンリーの中には米兵に買ってもらった家にそのまま住み着いた人たちもいます。隣人でもありますから、ともに生きてきた仲間のような感覚さえあるのではなかろうか。
時が過ぎたからそうなっただけという見方もできますが、おそらく差別をしたのは、もう少し距離のある人たちではなかろうか。あとは子どもでしょう。「混血児の同級生がいじめられていてかわいそうだった」と言っていた人もいました。子どもは理性もへったくれもない。
なにしろ彼女らは莫大な金を米兵から引っ張り出していて、立川を再興したのは米兵と彼女たちだと言っても過言ではありません。美容院や服屋、化粧品店など、彼女らで潤った商店も多く、場合によっては彼女らを通して物資が手に入り、それで商売をしていた人たちもいます。
あちこちから女たちが集まるため、立川周辺では家賃が高騰します。高くふっかけても金があるので、とくに彼女たちは足元を見られて、高額な家賃を払ってました。
その雲行きが変わるのは、昭和27年以降です。占領が終わり、米軍への遠慮が軽減するとともに行政や諸団体による浄化が始まり、だんだん厄介者扱いされ始めます。そして、混血児たちはさらに厄介者扱いをされます。再興に寄与しながら、母子ともにポイ捨て。母親が子どもを遺棄したというより、社会が母子を遺棄した。そして、その事実さえも消し去って今があります。
※写真は白人兵士が闊歩していたシネマ通りの表示
なぜ女たちは子どもを産んだのか
差別されることに耐えられず、あるいは生活の負担になって捨てたり、殺したりするのだったら、どうして生むのかと思うでしょうが、この本にはその事情も克明に書かれていました。「だらしがない」「先のことを考えていない」といった話ではありません。考えたからこそそうしたのです。ここも著者が多数のオンリーに話を聞いたからこそ見えてくる現実です。
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