松沢呉一のビバノン・ライフ

佐野眞一の闇-『東電OL殺人事件』を斬る 1-[ビバノン循環湯 58](松沢呉一)-6,553文字

佐野眞一氏が多数の剽窃をやってきたことはすでに指摘するまでもなかろう。それが指摘されて話題になった際、「そんなことは誰もが知っていた」と発言してのけた物書きたちがいた。この人たちは知っていたのに黙っていたわけだ。佐野氏の剽窃とともに、これには大いに呆れた。もしこれが本当であるならば、知っていて本にした編集者たちがいたり、知っていて書評を書いたりしていた物書きがいたんだろう。

少なくとも私は佐野眞一氏の剽窃についてはまったく知らずにいた。それまでいくらかは読んではいたが、物書きとして私はこの人をまったく評価できないでいて、関心さえなかったと言っていい。そのために知らなかっただけなのだろうか。

私にとって、佐野氏の評価が決定的になったのは『東電OL殺人事件』であった。フィクションならこれでもいいだろうが、ノンフィクションであるならば、事実を正しく記述するのが当然である。しかし、性風俗、売春に関するこの本の記述はデタラメである。思い込みを積み重ね、調べることも想像することもできず、「心の闇」でごまかしてしまう。そうしてしまう著者にこそ、私は闇を感じるし、こういう物書きを容認してきた出版界にも、読者にも私は救いようのない闇を感じる。

私の場合は、今になってそんなことを言い出しているわけではなく、原稿にもしている。今回循環するのは「ダークサイドJAPAN」2000年8月号に書いたもの。佐野眞一が描く売春や性風俗に対する記述がいかにいい加減で浅薄なものであるのかを風俗嬢たちのインタビューによって明らかにした内容。剽窃が広く問題になる以前に、「まったく信用のならない書き手」というのが私の下した評価であった。

被害者について私は取材しているわけではないので、彼女が何を考えていたのかまではわからない。しかし、佐野眞一氏が書いていることは現実とはかけ離れた妄想でしかなく、彼女の心に少しも触れることができなかったことだけはこの原稿ではっきりさせることができていようかと思う。

この一文は反響も大きくて、佐野氏本人に読ませたという人もいた。たしか吉田司氏だったと思う。とくに反論はしていなかったと聞いた。

すでに実相通りに正しく評価されるようになった佐野眞一氏はどうでもいいとして、ここに出てくる4人の話が相当に面白い。書いたものを読み直す癖がないので、内容をあまり覚えておらず、今回、思わず自分の原稿を読み耽ってしまった。

「ダークサイドJAPAN」に出したのはこの数分の一に削ったもの。原文は4万字以上あるため、7回に分けた。個人が特定されかねない内容に手を加えているが、インタビュー部分の無料公開はやめておく。

写真は数日前に渋谷で撮ったものを適当に配置し、段落の最後に適宜説明を加えた。

なお、冒頭に出てくる「編集長」は久田将義氏。

 

 

「ひどい本ですよ」

 

vivanon_sentence本誌H編集長が「これ、読んでみてくださいよ。ひどい本ですよ」と一冊の本を差し出した。編集長自身、あるライターから「ひどい」と言われて読んでみたのだという。

私は手渡された佐野眞一著『東電OL殺人事件』(新潮社)をうちに帰ってさっそく読み始めた。なるほど、ひでえや。
東電OL殺人事件
一九九七年三月十九日、井の頭線神泉駅近くにあるアパートの一室で女性の死体が発見された。殺されて十一日目のことである。彼女は休日は五反田のホテトルで働き、渋谷では街娼をやっていた。そして昼間は東京電力のOLであったことが報道を過熱させた。

しかし、それらの報道はもっぱら彼女のプライバシー暴きに費やされ、その行為がさも異常であるかのように、あることないこと書き立て、そのくせ街娼という仕事、売春という仕事と正面から向き合う記事を見ることは皆無だった。

間もなく、犯人としてネパール人が逮捕され、事件は解決したかのような空気が一挙に広がる。その後、冤罪事件ではないかとする報道を見てはいたのだが、私はことさらな興味はひかれず、むしろ、あの報道にまつわるイヤーな印象を避けたくあって、この事件のことをすっかり記憶の奥底にしまい込んでいた。

佐野眞一著『東電OL殺人事件』は、あの当時、プライバシー暴きに邁進した報道に対するイヤーな印象を蘇らせてくれた。しかも、これが売れているのだという。あの当時の報道を好奇心を満たすだけに貪った人々が、今またこんな駄本を貪り読んでいるのである。

 

 

自分だけはプライバシーを暴いていいとの特権意識

 

vivanon_sentence佐野氏は当時の報道をこう表現している。

価値観の崩落現象は、大衆の精神の劣化と見合った形でジャーナリズムの世界にも伝播している。渡辺泰子をめぐる明らかに常軌を逸した報道はその格好の見本だった。(P401)

この具体例として、被害者の全裸写真を堕落論 (280円文庫)載せた週刊誌、被害者は若い頃にレイプされたのがきっかけで売春を始めたと根拠のない情報を垂れ流した雑誌を挙げ、さらに犯罪的な報道として、被害者が学生時代にネパールに留学していたとのデマを書き、ネパール人が犯人であるとの印象を広げて警察をサポートした複数の女性誌を強く批判している。

これらにも怒りを感ずるが、それらに劣らぬ怒りを私は佐野氏に感じた。

東電OL殺人事件』の冒頭には坂口安吾の『堕落論』の一節が引用され、徹頭徹尾、被害者が売春をしていたことを「堕落」とし、被害者自身までがそう認識していたと信じきっている。根拠など何もありはしない。佐野氏自身の思い込みだ。

 

私の本意は彼女のプライバシーを暴くことではない。あえていうならば、この事件の真相にできるだけ近づくことによって、亡き彼女の無念を晴らし、その魂を鎮めることができれば、というのが私のいつわらざる気持ちである。(P10~11)

私の目的は警察まがいに「犯人」を探すことではない。あくまで彼女を堕落につかせた心の闇に迫ることである。(P32)

 

裁判での検察官の陳述までを「プライバシー暴き」としながら、自分は勝手な名目を立てて被害者のプライバシー暴きを延々とやっていくのである。事件の真相を明らかにするために被害者のプライバシーに触れざるを得ないことはあるだろう。しかし、被害者の妹の尾行をすることが、どうして事件の真相を明らかにし、被害者の無念を晴らすことにつながるのか(佐野氏のスタッフは被害者の妹を尾行している)。

そのくせ被害者の母親に取材を申し入れ、断られている。当然であろう。その無神経さ、そして、そのことに無自覚であることが佐野氏の身上と言っていい。

 

結論めいたことを先にいってしまえば、取材をすればするほど謎は深まり、彼女の行動の不可解さがますばかりだった。(P11)

私にとっての彼女の内面は、闇の迷宮のままである。(P67)

 

被害者のプライバシーを暴き、妹を尾行したところで、著者は被害者の心性の端っこにも触れることができなかった。ただただ「堕落」だの「心の闇」だの「謎」だのといった意味ありげで意味のないワードを繰り返し、彼女の行動が如何に「奇矯」で「奇っ怪」であったかをイヤというほど書いて、その方向でのみ想像力を働かせていくのだ。無神経さと傲慢さをこねくりまわしただけの貧困極まりない想像力を、だ。

なぜ佐野氏は「闇」や「謎」に迫ることができなかったのか。簡単な話だ。自己の予断を疑いもせず、現実は自分の頭の外にあることを想像もせず、事実を探るための取材すらロクにしていないからである。こんなものがノンフィクションであるものか!!

 

 

こんな本で金を儲ける物書きこそあざとい

 

vivanon_sentenceH編集長はこう言っていた。

「この人って、風俗で遊んだこともないんでしょうね」

それが悪いというのではない。しかし、知らないことは調べるのが仕事だ。

こんな文章がある。

 

いうまでもないことだが「すけべっこ」は、性感マッサージを売り物にするファッションヘルス専門の店のことである。(P210)

 

性感マッサージをするところは性感店である。そういった細かな区分はいいとしても、「ファッションヘルスの専門の店」って何のことだ。ソープランドの専門の店、ピンサロの専門の店とかって言うか? ファッションヘルスは業種じゃなく、サービス内容だと思っているのだろうか。これを「いうまでもないこと」とわかった気になって改めて調べもしないのが佐野氏の特徴と言ってもいいだろう。

あるいは被害者が働いていたホテトルについてはこう書く。

 

康子は二万五千円でSM客をとっていた。二万五千円がまるまる康子のものになったわけではなく、うち一万円はホテトル業者にピンハネされた。/ホテトル経営者には暴力団関係者はあまりおらず、ほとんどが脱サラ組だという。私は女を働くだけ働かせて大枚を搾取する脱サラ経営者の手口のあざとさとさもしさにやりきれない気持ちになりながら、ホテトル嬢を金で買ってやり放題やりまくるサラリーマンのみみっちさとあさましさにも吐き気をおぼえた。

 

風俗店が店を維持するためには、家賃、宣伝費、従業員の人件費などなど、さまざまな費用がかかる。ボランティアじゃあるまいし、利益も得なければならない。IMG_6669

どんな店でも、どんな会社でも当たり前にやっていることを、風俗産業がやった途端に、何の検証もしないまま、「ピンハネ」「搾取」と表現する人々の愚劣さについては、『売る売らないはワタシが決めた』(ポット出版)に掲載された座談会で批判しているので参照して欲しい。

この座談会は、宮台真司(社会学者)、南智子(風俗嬢・小説家)らとともに行ったもので、ここで私は単行本の印税を通常一割しか支払わない出版社にたてつくこともできねえくせに、売上の四割から七割ほどの金を日払いで支払う性風俗産業をさも問題であるかのように語ってみせる傲慢な物書きたちを強く批判している。まさに佐野氏はその典型だろう。

もちろん出版社と風俗店を単純に比較することはできないが、そのホテトルが「あざとい」などと非難されなければならない根拠は何も書かれていない。

 ※神泉駅脇のトンネル

 

 

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