松沢呉一のビバノン・ライフ

「自然」を「奇っ怪」に見せかける詐術-『東電OL殺人事件』を斬る 5-[ビバノン循環湯 62](松沢呉一)-6,815文字

「佐野眞一の闇-『東電OL殺人事件』を斬る 1」

「ベンツで出勤する風俗嬢-『東電OL殺人事件』を斬る 2」

「偶然に意味を見出す無意味-『東電OL殺人事件』を斬る 3」

「闇としか表現できない物書きの限界-『東電OL殺人事件』を斬る 4」

 の続きです。

 

 

 

街娼の現実をまったく知らない佐野眞一

 

vivanon_sentence佐野氏はセンター街、円山町のホテル街、松濤と続く渋谷の「落差」を強調する。渋谷の表通りしか見たことのない人達にとって、被害者が殺された、神泉駅前にあるアパートのイメージをはっきりと描くことはなるほど難しいことだろう。さらには、渋谷に街娼がいること自体、意外な思いにとらわれた人も多いに違いない。

佐野氏はホテル街の歴史は辿っても、渋谷が戦前から売春が当たり前に行われていた街であることについては触れていない。そこまでは取材力がなかったのだろう。

かつて渋谷には陸軍の施設があり、金のある将校連中は円山町の花街で遊び、下っ端は道玄坂を横に入った大和田横丁の私娼窟で遊んだ。今は飲み屋や風俗店が並ぶ一角だ。

西武百貨店や東京百貨店、パルコ、109なIMG_6624どが次々とできて、渋谷は若者の街となったが、三十年ほど前までは暗くて地味で、いかがわしい街だったのだ。

以前、古本屋のオヤジさんがこんなことを言っていた。

「戦前の渋谷は学生が行くようなところじゃなかったね。店に入ったら何されるかわからない恐い雰囲気さえあったよ」

この人は麻布出身で、もっぱら銀座で遊んでいたという(拙著『鬼と蠅叩き』参照)。今ではお高くとまった雰囲気のある銀座だが、戦前はカフェーの街であり、若い学生や遊び人たちも蝟集したのである。戦後はラクチョウ(有楽町)、バシン(新橋)と言えば、街娼の街であり、進駐軍向けの売春組織RAAの本社も銀座だった。

対して戦前から戦後まで、一貫して渋谷は、暗くて危険でいかがわしい街であり続けた。街娼がたむろし、チンピラ風の男らが闊歩する今の歌舞伎町から新大久保にかけての一角のような場所だったと言っていいかもしれない。

戦後しばらくは、ご多分に漏れず、渋谷にも街娼が立ち、青線地帯が広がっていた。今も渋谷の裏通りに入れば、その時代の雰囲気を残す飲み屋街がある。道玄坂、百軒店の周辺には毎夜何人もの引き屋(客引き)が出て、いくらかはかつての渋谷の片鱗を体験することができる。

ここに仲のいいオバちゃんがいて、彼女は五十代ながら、今も客を相手にすることが稀にある。本人は断っているのだが、「どうしても」という客がいるのだ。こういった客の存在も理解できない人がいることだろう。

 

円山町は、高齢の泰子でも売春相手がみつかる特異な性の出稼ぎ場だった。(P295)

 

殺された時、被害者は三十九歳であった。熟女・人妻マーケットが確立して、四十代のヘルス嬢だって珍しくない時代である。ましてソープ、ホテトル、チョンの間なら、四十代は容易に探せ、五十代も探せないことはない。つい半月前にも、徳島の元遊廓で今も働く六十代末の女性にインタビューをしたところだ(「問題小説」の連載参照)。まして高年齢化が進む日本人街娼では、三十九歳というのは最も若い世代に属する。

※大和田横丁。今はその名称を知る人はほとんどいないが、井の頭線の入口あたり。今は性風俗店もこの辺にはほとんどなくなった。

 

 

取材不足が生み出しただけの闇

 

vivanon_sentence街娼というと、すっかりタイ人、台湾人、韓国人、コロンビア人、ロシア人など外国人にお株を奪われてしまった感があるが、今でも、日本人街娼に出会うことは難しくない。『東電OL殺人事件』が連載された「新潮45」の数号前に七十歳の街娼の話を書いたところだが(これも単なる偶然である)、ほんの一部の地域を除き、全国どこでも日本人街娼の平均年齢はおそらく五十代。六十代、七十代の街娼だってありふれた存在である。そういう世代だからこそ、気づかれにくいだけなのだ。

東京における日本人街娼のメッカはパンパンの時代から変わらず上野だが、真っ昼間から数十という単位の街娼がいるこの地でも、三十代を探すには苦労する(その当時の最年少である二十代を以前取材しているが、彼女はすでにいない)。

円山町が特殊だとIMG_6604するなら、三十九歳で客が見つかることなのでなく、まだ三十代なのに街娼をしていることだと言った方がはるかに正しい。三十九歳で客が見つかることが特異だとしてしまったところに佐野氏の無知と、この事件への取り組みが滲み出る。

被害者が異常であると思いこんでしまい、できるだけその異常さをフレームアップして読者の気を引きたい佐野氏は、風俗産業をよく知る者にとっては当たり前の事実、つまり現実を知ることなく、三十九歳という年齢から、被害者を、そして渋谷という街を異常さで説明してしまい、謎や闇を持ち出すしかなくなった。

上野に街娼が集まる理由はいくつかあるが、まずは地の利を挙げなければなるまい。風俗店と違い、路上に立ち、そこで声をかけたりかけられたりすれば、誰かに見られるかもしれない。売春者も客にとっても、隣近所ではない遠くの地を選ぶ。かといって片道何時間かかったのでは不便すぎる。

地の利は絶対条件だ。その点、埼玉、群馬からでも主婦が売春に出られ、客にとっても事情は同じ上野は好都合であり、上野は出張客にとっては経由地でもあるから、一見が多い街であり、客にとっても外からやってきたフォリナーでいられるため、はめを外しやすい(このことが、ボッタクリの多さにもつながっている)。

続いて、商売をする場所が多いことも挙げられる。湯島や鶯谷まで行けば、いくらでもラブホテルがある(戦後まもなくの上野は旅館の数が少なく、電車で移動するケースもあった)。カップル喫茶、トイレ、公園の茂みなどもある。ホテル代を払わせるよりも、公園でやって、その分もいただいた方がいい。

そして上野は、昼間ならヤクザが関与せず、ショバ代を払わなくてもいいことも利点だ。上野は上野で合理性がある。そして被害者にとって渋谷は合理性があっただけのことだ。

※映画の影響で海外にも知られるようになったためか、やたら外国人がハチ公と記念写真を撮っていた。

 

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