松沢呉一のビバノン・ライフ

出演することの責任-厄介な「レイシストカウンター」批判 3(松沢呉一) -2,618文字-

一般公開する価値のない映画-厄介な「レイシストカウンター」批判 2」の続きです。

 

 

「レイシストカウンター」封印のお知らせ

 

vivanon_sentenceこちらをご覧ください。わたなべりんたろう監督の方から、あと一回の上映で「レイシストカウンター」の上映を終了する旨の発表がありました。

この中でも触れられているように、著作権侵害の疑いがあって、こちらでも調べていたのですが、ほぼ確定しているものが複数あります。とりわけここで削除するとしている「ハッピー」の動画は権利が多岐に及ぶため、クリアすることが相当に難しい。映像の制作者の著作権、出演者の肖像権、音楽著作権、隣接権についてすべてクリアしなければならない。無理でしょ。

著作権は規定の手続き、規定の料金なのでまだしもとして、原盤を使ってますから、権利者との交渉が必要です。

 

 

インタビューのルール

 

vivanon_sentence前回書いた理由から、私は出演を辞退しましたが、監督に伝えたのは、2番目の理由のみ。つまり公開のタイミングを逸しているということです。収録してから時間が経っているので、「もう状況が変わった」と辞退してもいいでしょう。その上で、3番目の理由である著作権についても指摘したわけです。

これは、ひとたび受けたインタビューを断る適切な筋道です。正しく何が問題であったのかを見極めるため、詳しく説明しておきます。

インタビューの言葉は発言者に権利があります。私が理解できている出版業界の例を出すと、雑誌でインタビューを受ける際に「ゲラチェックをされてくれ」と申し入れるのは正当。「ゲラチェックはできません」と言われたら、インタビューを断るのも正当。IMG_9325

黙っていてもゲラチェックをさせてくれる雑誌がある一方、申し出ないとチェックさせてくれない雑誌があって、後者も間違ってません。ゲラチェックは必須とはいえないため、自分から申し出るしかない。

ゲラチェックの段階で直しを入れるのも正当。それが認められなければ引っ込めるのも正当。ただし、ひとたび受けたインタビューを完全に引っ込めると、ギリギリになって代わりの人を見つけなければならず、編集者やライターは困ってしまいますから、これは不当かと思います。

これらはあくまで自分の言葉についてであって、インタビュアの地の部分まで口出しするのは不当。事実関係の間違いや誤植について直すのはいいとして。これは編集者がやるべき作業を代わりにやっているってことです。

時々聞く話ですけど、座談会や対談で、他の人の発言まで直す人がいます。これも事実関係の直しや誤植の直しはいいとして、内容にまで踏み込むのは不当。

そのため、インタビューやコメントのゲラチェックでは、自分の発言部分しか見せてもらえないこともあります。私もインタビューをする側の場合にはそうすることがあります。それ以外のところまで口出しされるとキリがないので。

 

 

辞退してもよし、しなくてもよし

 

vivanon_sentenceテレビの場合は時間的余裕がないですから、オンエア前にチェックさせることはあまりないでしょうが、映画はラッシュ(仮編集段階のもの)を出演者に見せることが多いのではないかと思います。劇映画では脚本も読んでいるし、文句をつけるなら現場でつけられるので、この段階でとやかく言う出演者は少ないでしょうけど。

わたなべりんたろう監督は、YouTubeに仮編集の段階で全編限定公開してましたから、すべて観られるようになってました。だからこそ、映画自体がどうにもならないことにも気づけてしまい、気づいてしまった以上、無視はできない。

IMG_7707私が「外して欲しい」と遠慮なく言えたのは、インタビューとそれ以外が関係している作りになっていなかったからでもあります。「ここにはこの人の言葉がなければいけない」という作りの編集がなされていないため、インタビューを外しても、前後が狂わないのです。何も考えていない映画だからこそ。

それでも自分のパート以外の理由で降りるのは気が引けるため、外してもらうことにしたあとで、いわば雑談として「著作権はクリアしているのか」と私は監督に問うたわけです。

その時はそう思っていたわけですけど、よくよく考えると、著作権を理由に辞退することも全然不当ではないな。いつもの癖で考えすぎた。

 

 

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