合言葉は「ソウルで会いましょう」と「金曜日は国会前で」-ソウル・クィア・パレードとSEALDs(松沢呉一)-2,747文字-
ソウル・クィア・パレード開催決定!!!
ソウル行政裁判所が「ソウル地方警察庁の屋外集会禁止通告に効力停止の決定」を出したことにより、6月28日のソウル・クィア・パレードは無事開催されることになりました。よかった。本当によかった。あとは当日の妨害をはねのけるだけです。
韓国のカトリックに続いて、仏教会もソウルパレード支持に回って、イカれたプロテスタントを包囲する体制が着々できあがっています。MERSのため、チケットが取りやすく、私の周りではソウルに行くことにした人たちがどんどん増えています。
昨日、「タックスノット」での帰りの挨拶は「じゃあ、ソウルで」でした。金相佑君のバカ話も聞けるし、桜井信栄先生とも会えるし、韓国の銭湯調査もできるし、カムジャタンも死ぬほど食えるし。
最近は熱が冷めましたが、私は無類のカムジャタン好きでありまして、ソウルのカムジャタンストリートに行く使命を果たさねば。
SEALDsに続け!!!
もうひとつの別れの挨拶は「金曜日に国会前で」。
日曜日、SEALDsのデモを見てきたのですが、「戦争立法反対」の主人公は彼らであることを強く実感しました。60代、70代のどんな高名な小説家より、どんな立派な学者より、10代、20代の言葉は重みがあります。これから半世紀以上にわたって彼らは生きていくのですし、この国を担っていきます。来週にでも死にかねない世代とは違います。
彼らは毎週金曜日、午後7時半から国会前で抗議行動を始めています。すでに2回実施して、千単位の人たちが集まっており、今週、倍増することは間違いないでしょう。
安倍政権は戦後最悪の政権になろうとしています。この国の政権はもはや憲法をも無視。政府が憲法を守らないとなったら、なんでもありってことですよ。すべての法が無化する。ヘイトスピーチ条例の条文を検討する意味だってないわさ。
未来のある世代もない世代も、さすがにこれは許すわけにはいかんでしょう。
6月21日(日)には京都で、SEALDs関西のデモがあります。
年寄りは金を出しても、口出すな
今後、私は打ち合わせも金曜日に国会前でやろうと思ってます。金曜日の銭湯巡りも、国会前拠点にします。千代田線で、まだ手付かずの足立区の銭湯を攻めるかな。
ここで年配の方々への注意。日曜日の渋谷でも、「元ベ平連」と称するおっさんが「これでは甘い」などと因縁つけてきたと警備をやっていたスタッフに聞きました。ベ平連はさんざん新左翼に「甘い」と言われていたくせに、いまさら何を言ってやがる。
神戸で昔の仲間たちが神戸でデモやっていたんだから、そっちに行っとけ。
ベ平連:40年ぶりに「旗」掲げて神戸をデモ行進
毎日新聞 2015年06月13日 15時00分
◇中心メンバー「黙ってられん」…「集団的自衛権」めぐり
1978年に解散した「ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)こうべ」の中心メンバーが21日、政府の進める集団的自衛権行使の容認に反対し、約40年ぶりに「ベ平連」の旗を掲げて神戸・三宮をデモ行進する。「あの時立ち上がった僕らが黙ってるわけにいかない」。新組織の結成も視野に入れた活動を始める。(略)
こうやって歳を食っても自分たちのできることをしようとする人たちはいいとして、その気力も体力もなくなって、美化した思い出を根拠に若い世代に因縁つけるしか自分のアイデンティティを確認できなくなった年寄りほど醜いものはない。老害であります。
運良く私は「思い出嫌い」を自認しているため、そうはなりそうにない。請われれば昔の話もしますけど、自分の昔話なんざ、ちいとも楽しくない。いくつになっても今と未来を語っている方が楽しい。
しかし、長く生きている分、経験値の高さによる知恵はあるので、提供はします。その知恵のひとつが「中高年に気をつけろ」です。
半世紀も生きていると、自分の人生においても自分が主人公ではないですから、あとはサポートに回る。50歳を過ぎたら、金を出しても顔出すな。知恵を出しても口出すな。
と言いながら、「ビバノンライフ」では顔を思い切り出してますが、これはそうしてくれと編集からの要請でありまして、ここは私しかいない場だからそれでいいとして、若い世代を押しのけて顔を出したいなんてことはまったく考えないっす。
年を食ったら裏方をやるべし
第一回目の東京大行進の時に私が出した方針は「陰毛に白髪が混じったら前に出るな。若いヤツらが前に出ろ」というものでありました。取材はできるだけ20代に回す。面倒なことはおっさん、おばはんがやる(現実には面倒なことも若い世代がかなりまでやってます)。
あとで誰かに聞きましたが、NYオキュパイ運動も同じ方針だったらしい。どこの国でも出たがり、目立ちたがりの中高年が前に出てしまって、人が寄りつかなくなくなります。若い世代はそれに反対はできないので、ルールにするしかないのです。
以前なんのデモだったか忘れましたが、今回と同じく宮下公園スタートの学生主催のデモで、隊列を作る際に、「先輩方は目立たないでください」というアナウンスがありました。つまり、中高年は隊列の後ろについて欲しいというお願いです。
そうしないと、前に前に行きたがる中高年がいるのです。取材の人も困っちゃうわけですよ。「若者が渋谷でデモをしました」と報じたいのに、ヨレヨレの人たちが目立つところにいるので、若者ばかりのデモという画像が撮れないのです。
「若者主体のデモでは中高年は歩道で声援しろ」と私は言い続けています。これは大いに意味がある。街との一体化を演出できますし、若者がデモをしていて、おっさんおばはんが手を振っている映像は使えます。
あるデモのあとでも、「どうしたら図々しい中高年を排除できるのか」という話をFacebookでしていたら、「私もそのデモに出ました」とまさにその議論の対象である鈍感中高年が嬉しそうにコメントしてきて呆れましたよ。何を論じているのかも読まずに自己アピールで頭がいっぱい。なんですかね、あれ。さすがに叱りましたよ。叱らないとわからんですから。
数は欲しいので中高年も歓迎。しかし、目立たないで欲しい。その思いが滲みでたのが「先輩方は目立たないでください」というアナウンスです。
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