村社会の崩壊と新しいルール-老害シリーズ・ロック編 4(松沢呉一) -2,308文字-
「「シェアさせてください」の不快さ-老害シリーズ・ロック編 2」の続きです。
コミュニティとしきたりの関係
キノコホテルは古い曲をカバーして、著作権者であるクニ河内も喜びました。ここでは新旧の共同作業が成立し、曲にとっても幸福なことです。
なのに、権利のないカルメン・マキが口出しして、キノコホテルは今後演奏をしないと宣言するに至りました。曲にとって、また、権利者にとっても不幸でありまして、キノコホテルは引き続き演奏し続ければよかったとも思いますが、そりゃ気分悪いっすわね。
そうなった契機を不当に作り出したのはカルメン・マキです。
Twitterを見ていたら、カルメン・マキが歌った曲をカバーしながら、挨拶をしていなかったと証言しているミュージシャンもいます。つまり、カバーされていることも知らないくらいに、村の時代とは比較にならず、大きな業界になっている。
細分化されてますが、広くロックというジャンルの作品リリース数は百倍ではきかないのではないか。それなのに、なお「挨拶がない」なんて理不尽が通ると思い込む。
この認識のずれが老化です。
コミュニティのしきたりを共有していない人に対してどうすべきかについては、ルールが設定されています。著作権をクリアすれば著作物は使用できるというルールです。だから、コミュニティの範囲を超えていると見なしている海外の場合は皆さん権利だけクリアしてカバーをしているわけです。
それさえ守ればいい。法律がすべてだと言いたいのではなく、モラルとしてもそうなっている。日常的に顔を合わせるような関係のみで「挨拶」は必要。
残るしきたり、消えるしきたり
コミュニティ内のモラルとしては、従う理由があれば陋習と言えるしきたりでも残っているし、残っていいわけですが、国内においても、オリジナルの歌手に挨拶をするなんてしきたりは、狭いコミュニティ内でしか通用しないでしょう。
ローカルルールはローカル内でのみ成立するからローカルルールなのです。
これが広く業界のしきたりになっていないことは多くの人が証言している通りで、カバーする場合に、オリジナルの歌手に挨拶をするというしきたりを知らなかった音楽関係者が多数です。
北島三郎が若い演歌歌手に文句言うならわからんではない。名実ともにドンと言っていい人ですし、演歌業界は狭いので、なにかしら世話になっていたり、同じステー ジに立ったりする機会がありましょうから、コミュニティがなお成立しています。そこでは古いしきたりもあるんでしょう、きっと。知らんけど。それは外の人間がとやかく言う問題ではありません。
でも、競作やカバーが当たり前の演歌の世界で、他人の持ち曲を歌う時にいちいち挨拶していたら、挨拶される大御所も面倒じゃないですかね。新曲が競作になる場合はともあれ、古い曲だったら、それまでに何人もが歌っていて、そのすべてに挨拶回りをするのは困難。曲が世に出るためにはそれ以外の多くの人たちもからむわけで、演歌でも、関係が強くないと、すべてに挨拶まではしないと思うんですけど、どうなんでしょう。
集団強姦事件と村のしきたり
思い出を反芻するのは嫌いでも、過去のことを調べるのが私は好きです。私が生きていなかった時代が好き。自分が経験した思い出と違って、私が経験していない未知のことです。
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