個のマナーしか見えない人たち-ゴミと公共心 3-(松沢呉一) -2,279文字-
個のマナーだけが回答か?
自分で出したゴミは自分で片付け、公共の場を汚さないように個人が気をつけるのは日本の美徳だとしても、それが唯一絶対の方法だと思い込むと、他の合理的な解決法があったとしても見えなくなるし、責任を負うべき人たちの責任が見えなくなります。
日本のやり方が唯一絶対的な正しい方法だと信じ込むと、海外で吸い殻をポイ捨てするところや、集会の会場にゴミが散らかされていることだけをとらえて、「〜人は公共性がない」と言い出すのがいそうですが、他の文化圏からすると、日本は「ゴミごときでデモや集会が否定される不自由で息苦しい社会」に見えるかもしれないことを意識した方がいい。
あるいは「“公”が機能せずに、“私”がすべてをケアしなければならない公共性のない社会」「本来責任がある人びとを見ずに、個人をバッシングするクソ社会」に見えるかもしれないことを意識した方がいい。
どちらがいいのかは一概には言えないですけど、韓国のようなやり方が間違っているとはとても思えず、世界的にはおそらく韓国スタイルの方が多いかと思います。
中国に行った時も、私はゴミを追っていて、空き地に捨てられていたコンドームのパッケージなど、各種ゴミ写真を撮っているのですが、きれいな場所はとってもきれい。清掃員が活躍しているわけです。
といった話を私はSEALDsのメンバーにしていたのです。デモの時にゴミを拾うのはいいこと。しかし、視野を狭くするなと。
人が集まればゴミは出る
話はハロウィンに戻ります。
ゴミを出してもすぐに片付ければいいと考える社会のありようがあることを知った時、ゴミを出した人たちだけを叩くことは、受益者の責任を見逃すことになると気づきます。
あのゴミって、のちのちまで残ってハエが飛び回り、ネズミやゴキブリが走り回り、伝染病が発生するなどの支障が出たんか? 渋谷の街に人が寄り付かなくなり、センター街の店は閑古鳥が鳴いているのか?
一時的にゴミだらけになったところで、片付けられたなら問題はないでしょう。
ハロウィンじゃなくたって、繁華街では深夜になるとゴミが大量に出ます。最近カラスは減りましたが、ネズミが走り回っていることもあります。
ふだんはそれを見過ごしている。昼間にはもう片付けられていますから。日本でも地域によってはまだ暗いうちから片付けられていて、朝には見えなくなっている。それでいいわけです。それをあえてクローズアップすると大問題に見えてくる。
一昨日、それを確認するためだけに深夜の歌舞伎町に行ったら、平日だし、小雨が降っているしで人出が少なく、外で酒宴をやっているようなのがいなかったので、思ったほどは汚くなかったですが、紙がちらばっているわ、ペットボトルが山積みになっているわ、子どもの靴が捨てられているわ、いたるところに傘が捨てられているわ、ゲロを吐きながら路上に寝ているのがいるわ。
これだけを取り出せば、歌舞伎町は公共心のない若者たちが年中ばか騒ぎをしている街ですよ(今回の写真はすべて歌舞伎町のものです)。
そりゃ、ハロウィンの渋谷に比べればマシではありますけど、渋谷は、この日の歌舞伎町の数十倍の人出だったでしょうから、ゴミも数十倍出ます。当たり前。
結局のところ、渋谷では、ハロウィンに参加した人たちが自主的に片付けたり、翌朝、ボランティアグループが片付けたりしたらしい。しかし、本来、これを片付けるべき人たちは他にいるのではないか。
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