松沢呉一のビバノン・ライフ

検黴と性病-「吉原炎上」間違い探し 17[ビバノン循環湯 91] (松沢呉一) -3,434文字-

間引きが人口増加を抑制した?-「吉原炎上」間違い探し 16」の続きです。

 

 

 

検黴・健康診断

 

vivanon_sentence吉原炎上」の原作には出てくるのに、ドラマには出てこないエピソードがある。検黴だ(原作では「検梅」となっているが、正しくは「検黴」)。花柳病の検査である。花柳病というのは性病、性感染症のことで、戦前は公的文書でもこの用語が使用されている。この病気は花街、遊廓で感染する病気とされていたわけだ。これは見方によっては正しいのだが、見方によっては間違っている。

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近代になってからも遊廓が維持されたもっとも大きな理由のひとつは性病対策であり、検黴は定期的な行事だったのだから、必須とまでは言えないにせよ、遊廓の日常を描くなら取り上げてしかるべきであり、事実、原作では触れられているのに、ドラマ版は無視をした。

ドラマ「吉原炎上」では代わりに脳梅(梅毒が脳に来た状態)と思わせる娼妓を登場させている。お茶の間に流れるドラマで検黴は取り上げにくかっただけかもしれないが、検黴を描くと、その娼妓の存在が虚構であるとバレるために、検黴を取り上げなかったのだろうとも想像する。以下、その意味を説明していく。

明治三十三年の娼妓取締規則以降、検黴は、公的には健康診断と呼ばれるようになる。結核等の検査もあったのだが、もっとも重視されたのは性病の検査である。以降も、検黴という言い方がなされていて、一般の健康診断と区別するため、ここでも検黴という言葉を使用する。

検黴の頻度は「週に二回」「五日に一回」「六日に一回」「週に一回」の四種から道府県が選択し、道府県令でこれを遊廓に義務付けた。東京では週に一回実施であった。遊廓が消えた戦後の吉原でもそれが定着。今現在、検査を義務付けているソープランドではたいてい月に一回。いかに遊廓では頻繁な検査がなされていたかわかろう。

遊廓には検黴のための施設を設置することが義務付けられ、また、その入院治療のための病院の設置が自治体に義務付けられた。これを「娼妓病院」と呼ぶ。東京では吉原病院がそれである。

※写真は吉原病院があった場所に建つ台東区立台東病院

 

 

娼妓たちが吉原病院を嫌った理由

 

vivanon_sentence抗生物質のなかった時代、梅毒はもちろん、淋病でさえも、薬を飲むだけでは簡単には治せず、娼妓たちは、病気が見つかると吉原病院に隔離された。病院の運営費は遊廓と行政の負担であり、性病については業務上の罹患ということで治療費も妓楼の負担が原則。ただし、食事代は本人負担だったよう。

娼妓病院が遠く、遊廓に近いところに入院する場合のみは娼妓の負担になる地域もあったが、吉原病院はその名の通り吉原にある。食費も妓楼が負担だったが、娼妓たちはその間は当然稼げない。

休暇をとって治療に専念できるのだから、その点だけを見れば悪くはないようだが、娼妓たちは、そのことを何より恐れていたことが原作には記述されている。当初の検黴は見た目での判断だから、潰瘍に白粉を塗ってごまかしたといった話が古いものには出ている。

病気を恐れるのは当然だが、病気があっても隠したのは、金を稼げなくなり、年季も減らないだけでなく、病院の待遇の悪さを嫌っていたためである。病室は共同部屋、食事は質素、寝具も粗末である。もちろん、外出はできない。

戦後の赤線従業婦もパンパンたちも強制入院を恐れていたのは同じ理由からだ。彼女たちは、普段、病院よりもずっといい環境で生活していたことを示唆する。

 

 

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