松沢呉一のビバノン・ライフ

中平文子が化け込んだ吉原-「吉原炎上」間違い探し 27-[ビバノン循環湯 101] (松沢呉一) -3,562文字-

久野は遊廓の外でデートをしていた-「吉原炎上」間違い探し 26」の続きです。

 

 

 

「なでし子」こと中平文子の化け込み

 

vivanon_sentence明治時代から大正にかけて、「化け込み」という取材方法が流行ったことがある。今で言えば潜入取材だ。ときには変装までして、正面からの取材では知り得ないことを探る。

IMG_6991この化け込みは婦人記者による記事の人気が高く、中でも「なでし子」こと中平文子の化け込みは単行本にもなり、大いに人気を博した。私が所有している『婦人記者  化け込み お目み江まわり』(須原啓興社・大正5年)は、初版が出てからわずか二ヶ月後の十七版。当時のベストセラーだったのだろう。

中平文子は青踏社にも関与した人物で、武林夢無想庵と結婚し、無想庵が文子に発砲して離婚。その後、再婚して宮田姓に。

化け込みシリーズは新聞記者だった彼女を一躍有名にした出世作と言える。この人の人気は文章を読むとわかる。笑えるのである。一世紀前の本を読んで声を出して爆笑することはなかなかない。

お目み江まわり』の最終章は「花の廓の新吉原へ」。

著者は針子として吉原の新川楼に化け込み、遊廓内のしきたりを見たり、客のいない時間帯に、娼妓たちが全裸で風呂に移動するところを見たり、娼妓が客に猫なで声で営業電話をするところを聞いたり。相当の金持ちじゃないとまだ家庭には電話のない時代だが、客の自宅に電話をしているのか、職場に電話をしているのか、この頃にはすでに娼妓たちは営業電話をしていたのである。

この文章が新聞に掲載されていたのは大正四年以前。つまり、ドラマ「吉原炎上」の設定とわずか数年の時間差しかない。ドラマの吉原でもすでに営業電話をしていた娼妓はいただろうが、あのドラマから、そういった時代の変化を読み取ることは不可能だ。だから、明治時代に時代設定を二十年もずらすと不自然になってしまうのである。

 

 

新川楼の娘が語る妓楼の内情

 

vivanon_sentence吉原に来た著者にとってはすべてが物珍しい。布団の立派さにうっとりし、お針子の同僚に注意されたりもしている。大正四年だと、まだ張見世をやっていた店もあって、張見世の娼妓を見て天女かのように美しいと感嘆する。

そして、この新川楼の経営者の、十四、五歳になる娘と楼内で会う。彼女は別宅に住んでいるのだが、風呂だけはここに入りに来るのだ。電話同様、家庭には内風呂がまだ少なかった時代のことである。

ここまで著者は浮き足だっていて、この世界を楽しんでいるようでもあったのだが、 そんな彼女を諫めるような娘の言葉で、この本は終わる。

 

 

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