松沢呉一のビバノン・ライフ

娼妓は心中の名のもとに殺された-「吉原炎上」間違い探し 23-[ビバノン循環湯 97] (松沢呉一) -3,569文字-

投込寺の正しい由来-「吉原炎上」間違い探し 22」の続きです。

 

 

 

心中の誤解

 

vivanon_sentence原作には出てこないのだが、ドラマでは娼妓が客と心中するシーンが出てくる。原作に出てくる中米には四十六人もの娼妓がいたとある。対してドラマの夕凪楼は、十人かそこらしかいないように見える。なのに、こうも不幸が連発したのでは、経営は成り立たない。確実にこんな妓楼は潰れる。

遊廓と言えば心中がつきものという先入観によるものだろうが、これもまたよく誤解されている点だ。確かに江戸時代には、近松門左衛門の影響もあって、遊女と客の心中が流行った時代があり、幕府も遊廓の経営者らも頭を悩ませているが、現実の心中は添い遂げることができない悲恋の果てなのかどうか。

近代になってから、その数字や内実を調べたものがいくつかある。

 

 

『情死の研究』に残る数字

 

vivanon_sentence日本で最初の心中研究書は大道和一著『情死の研究』(同文館・明治44年)とされている。著者は新聞記者で、全国の新聞記事から心中記事を集めてデータをとっている。これによると、三年間で全国の新聞に掲載された心中事件は五百一件。そのうち、娼妓がからむ心中は三十六件。年間十二件。このデータは分類の基準がよくわからず、数字を読み取りにくいため、この三十六件は必ずしも正確な数字ではないのだが、元の新聞記事をすべてチェックすることは困難なので、メドとしてこの数字を使うことにする。

これらは警察に届けられたものであり、未遂に終わったものは警察に届けられないものもあったろうから、未遂を含めると、この数倍に達したのではなかろうか。しかし、小さな記事ではあっても、雑誌には遊廓の心中はよく出ていて、注目されやすかったことがわかDSCN5993る。それでも報道されなかったもの、著者が見逃しているものがあるだろうが、死に至ったものについては確実に警察に届けられ、相当の率で報じられるので、この何倍もあったとは思いにくい。

仮に年間二十件として話を進める。当時全国の娼妓数は五万人強。平均すると、年間二千五百人に一人。東京の娼妓数は六千四百人。東京は全国の12%から13%、吉原は全国の5%。東京で遊廓での心中が起きるのは年間二件から三件で、吉原には娼妓が二千五百人いたので、年間一人心中事件を起こしたことになる(後述するように娼妓が主体的に起こした心中はこのうちの一部)。

全国で年間二十件という前提自体あやふやではあるが、ざっと吉原では年間一件くらい心中があったのだから、十分に多い。

とは言え、貸座敷、つまり公娼の妓楼数は、全国で一万一千軒、東京には七百六十軒あり、吉原にはうち三百の貸座敷があった。人数に比して吉原の貸座敷の数が少ないのは、妓楼の規模が大きかったため。

 

 

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