松沢呉一のビバノン・ライフ

娼妓の外出を制限した事情-「吉原炎上」間違い探し 31[ビバノン循環湯 105] (松沢呉一) -3,296文字-

娼妓を死に追いやったもの-「吉原炎上」間違い探し 30」の続きです。

 

 

 

無駄に人を殺すドラマ

 

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ドラマ「吉原炎上」の冒頭で、鶴尾という娼妓が、「ここから絶対に逃げてやる」と言いながらも逃げられず、追いつめられて自ら首を切るシーンが出てくる。吉原から出るには死ぬしかないとでも言いたいのだろう。

もはや言うまでもないだろうが、原作の「吉原炎上」には登場しないエピソードであり、原作には登場しない人物である。『廓の子』にあったように、塀も堀もない遊廓では、日常的に廓の外に娼妓たちは出かけていたのだし、日常必要なものは遊廓内で調達できた吉原でも、明治以降、外出は相当ゆるくなっていて、「頻繁に」とまでは言えずとも、好きな男と遊廓の外でこっそりデートすることも可能だった。

ドラマでは、原作にある「久野は恋人と会うために単独で外出した」という事実を伏せた上で、鶴尾を登場させているのだが、外出することができた現実を知れば、「なんで鶴尾はああも思い詰めていたんだよ。外出して逃げればいいではないか」ってことになる。ドラマで、元恋人が結婚していることを確認するために逃げ出した久野も同様である。

しかし、稀とは言え、中には鶴尾のようなケースもあったかもしれない。反抗的な態度を見せたり、逃げる意思を見せたりすれば、妓楼はその娼妓を信用はせず、外出させなかったろう。

また、好きな男がいるらしきことがわかっても警戒をした。だから、久野も男に会うことは楼主や遣り手には隠していた。もし久野に「いい男」がいることを知ったら、単独の外出は許さかなったかもしれない。

※今回も遊廓には関係のない写真です

 

 

妓楼が娼妓の行動を規制したわけ

 

vivanon_sentenceでは、改めて、妓楼が娼妓たちの行動を制限した事情をまとめておく。以下はそれがいいか悪いかではなく、現実にどうして制限をしたのかの事情である。

ここまで書いてきたように、もし女たちに逃げる意思などなく、外出の許可を得ても逃げなかったのであれば、いちいち断りをせずに自由に外出できるようにすればよかったではないかと思う人もいよう。

なぜそうしなかったのか。第一には今現在の風俗店で店外デートを禁じられているのと同じ理由からである。店外デートを自由にできるようにすると、必ずや客と外で会って、直接商売をするのがでてくる。禁止したって、現実にこういうことをしている風俗嬢たちがいくらでもいる。風俗嬢たちからすると、全額自分のものにできるのだから、そうしたくなるのも理解できる。

風俗店に限らず、どこの会社でも、社員が業務で知り合った顧客と直接交渉して、社外で仕事をこなして金をすべて得ることは許されず、背任に問われよう。

とりわけ売春は、身ひとつあればできてしまうため、店を通さずに商売することが容易だ。関わる人間はたったの二人であり、客が吹聴したりしない限りは、まずバレることもない。禁止したってやるのはやるけれども、どこの店でも店外デートは禁止するしかない。

今の時代でもそうなのだから、まして手にできる金が少ない上に、仕送りをしたいとの事情があった娼妓たちの中には、自由に外出できれば、この誘惑に勝てないのが出てきてしまっただろう。

 

 

法律が遊廓や娼妓を縛っていた

 

vivanon_sentence第二には、公娼制度のあった時代、店の外で商売をすることは違法だったからだ。いわゆる密売淫である。

 

 

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