売春に対する蔑視の変遷-「吉原炎上」間違い探し 34-[ビバノン循環湯 109] (松沢呉一) -3,232文字-
「タイに見るかつての日本-「吉原炎上」間違い探し 33」の続きです。
廃娼運動の雑誌「廓清」に掲載された山路愛山の談話
「遊廓を廃止せよ」と求める廃娼派の道徳とはどのようなものであったのか。
以下は廃娼派の雑誌「廓清」(廓清会)第一巻第二号(1910年・明治44年8月)に掲載された山路愛山の談話である。
我輩の考えでは、女郎屋などを営む如き人間は、日本人には違いないとするも、吃度(きっと)種族が一種異なった者であろう。換言すれば穢多の一種に違いないと思うのである。今の吉原なども明暦の大火の時に移されたもので、元は築地新富町あたりにあったと思うが其前に溯って歴史を調べたならば吃度東京の女郎屋も、昔は穢多村にあったに違いない。が、そうであってもなくても、遊廓は皆穢多村の近所に持っていくがよい。
全国水平社が結成される前のことであり、一般の雑誌でも「穢多」という言葉を使っている例は多々あるにせよ、明治末期ともなれば、ここまで露骨な差別文書を掲載しないくらいの良識がすでにあったかと思う。もちろん、廃娼派のすべてがこんな人たちではないが、こういう文書を堂々掲載するのが廃娼派である。
また、元吉原は築地新富町ではなく、日本橋蛎殻町にあった。事実関係もいい加減すぎる。編集者もこれを訂正しないわけで、「事実なんてどうでもいい」という姿勢は彼らに共通するものかと思う。
この廓清会は吉原の大火を契機にして、日本キリスト教婦人矯風会、救世軍など廃娼運動を担ってきたキリスト教団体に、キリスト教徒の政治家、文化人などが集まった連合体で、山路愛山もまたキリスト教徒である。
廓清会は純潔主義を目的にもしていて、これが戦後の純潔教育にもつながっていき、メンバーもまた重なっている。つまりは、婚姻外セックスを否定し、処女性や貞操を重んじる性道徳の確立を求める人々であり、売買春を否定するのは当然だろう。
救世軍は現在性風俗に対する批判、性道徳の護持を露骨には打ち出していないと思うが、矯風会は今なおその活動を続けている。婚姻外のセックスを否定し、処女性や貞操を重んじ、同性愛などもっての他と思う人は矯風会の性風俗否定に賛同するがいい。
※大久保駅の近くにある矯風会館。ここはかつて梅屋庄吉による映画会社M・パテー商会があった場所ではないかとも思われるのですが、はっきりしたことはわからず。
どっちも同じ道徳が根拠になっていた
こういう廃娼運動に批判的な人もいた。
以下は雑誌「新小説」大正十五年9月号「売笑研究号」に掲載された池田林儀「公娼自滅を憂う」より。
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